ランブール兄弟 ベリー公のいとも豪華なる時祷書。 ベリー公のいとも豪華なる時祷書

リンブルク兄弟

ランブール兄弟 ベリー公のいとも豪華なる時祷書

本の冒頭には一年を通した 中世フランスでの暮らしが描かれています。 その光景は現在のフランスにも、600年の時を越え受け継がれています。 シャンティイ城とコンデ美術館 画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より パリから北へ40キロ行った、 シャンティイ城。 城の中には コンデ美術館という美術館があります。 近代フランス絵画の傑作やルネサンス期の名画など、収蔵作品数は約3万点にのぼります。 有名な ドミニク・アングルの自画像もこの美術館に収められています。 今回取り上げる『 ベリー公のいとも豪華なる時祷書』は、城の奥深くの非公開の部屋で厳重に保管されており、美術の専門家でさえほとんど目にする事ができないといいます。 余談ですが、日本の姫路城とシャンティイ城は姉妹協定を結んでいます。 ベリー公のいとも豪華なる時祷書 画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より こちらがその『 ベリー公のいとも豪華なる時祷書』です。 15世紀に王族が作らせた 装飾写本です。 本の中には祈りの言葉がラテン語で綴られています。 印刷技術のないこの時代、びっしりと書かれたその一文字一文字は全て手書きによるものです。 画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より 使われた紙は 牛皮紙 (ぎゅうひし)と呼ばれる当時最高級の紙でした。 その高級な紙に、 金やラピスラズリといった高価な顔料が惜しみなく使われています。 本の名前の「 いとも豪華なる」に相応しい、贅の極みともいえる本です。 ネーデルラント(現在のオランダ、ベルギー)の ランブール兄弟をはじめとする複数の画家が、80年近くの歳月をかけて描き継ぎました。 4月/ベリー公のいとも豪華なる時祷書 冒頭からの12ページは月ごとの中世の暮らしが描かれています。 そこには600年前の人々の暮らしの様子が描かれています。 《ベリー公のいとも豪華なる時祷書》 4月 たいへん色鮮やかで、すごく細かい所まで描かれているのが分かります。 実際の横幅15センチほどしかありません。 いかに優れた細密描写の技術があったかがわかります。 こちらの『 4月』から見ていきます。 穏やかな春の陽光の下、貴族の男女が婚約指輪を交わしています。 男性が婚約者に指輪を送り、誓いの言葉を口にします。 男性は美しい青地に金色の王冠の刺繍が施されたガウンをまとっています。 女性の方は、薄紫色のドレスに赤いサンゴのアクセサリーです。 そのドレスは、春に咲くすみれの花の色に合わせています。 花々が咲き誇る春らしい、恋の情景を描いています。 5月/ベリー公のいとも豪華なる時祷書 男性の方のアグレッシブさがすごいなぁ 笑 『4月』の絵と同じ、赤いサンゴのアクセサリーを纏った女性が画面中央にいます。 4月に婚約をした女性と同じ人でしょうか? この「若葉狩り」は王宮を離れて、森で愛を語り合う一日なのです。 時祷書とは? 「 時祷書 (じとうしょ)」というワードは、日本人には馴染みのないものですが、いったいどのように使われていたのでしょうか。 それまでの時祷書の大半は「 福音書」 (= イエス・キリストの教えと生涯についてまとめたもので、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの4福音書が新約聖書正典とされている) からの引用や 聖母マリアへ捧げる言葉から構成され、教会や修道院で使われるのが主でした。 やがて祈りの習慣が広まると、王侯貴族がこの《 ベリー公のいとも豪華なる時祷書》のような手の込んだ「時祷書」を作らせるようになりました。 神への祈りは、 一日に8回で3時間おきに行われていました。 その時間になると教会の鐘が鳴り、人々に祈りの時が知らされました。 例えば、午前9時には「東方三博士の礼拝」の祈り。 キリストが十字架にかけられ、息を引き取ったとされる午後3時には「キリストの死」の祈りが行われました。 中世の暮らしは、神、そしてキリスト教と密接な関係にあったのです。 いかがでしたでしょうか。 今回のパート1はここまでです。 続くパート2では《 ベリー公のいとも豪華なる時祷書》の『 6月』から見てまいります。

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ベリー公のいとも豪華なる時祷書

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生涯 [ ] 兄弟の祖父はヨハンネス(Johannes de Lymborgh)といい、おそらく(現在の・の町)からの首都ナイメーヘンへ移ったとされる。 ヨハンネスの息子アルノルトは公国の宮廷で、木彫り職人として働いていた。 1385年頃、アルノルトは公家お抱え画家の、申し分ない一族の出身の妻メヒテルトを娶った。 ヘルマン(1385年頃生まれ)が長男で、続いてポル(フランス語の文献ではPolleke、Polequinという記載もある。 1386年か1387年生まれ)、ヨハン(1388年頃生まれ。 フランス語の文献ではJohanneke、Jacquemin、Gillequinとも記載あり)が生まれた。 さらにその下には弟ルトヘル(Rutger)とアルノルト(Arnold)、妹グレタ(Greta)がいた。 1398年頃、父アルノルトが亡くなり、兄弟は、当時のフランスとブルゴーニュ宮廷で最も重要な画家、叔父によって送り出された。 ヘルマンとヨハンは、で金細工工芸を学んだ。 1399年終わりに彼らはナイメーヘンへ戻ったが、その頃戦争に巻き込まれていたで捕らえられてしまった。 兄弟の母は身代金を払えなかった。 地元のが彼らの身代金にあてるため金を集め始めたが、すぐにブルゴーニュ公が、お抱え画家である彼らの叔父ヤンに免じて身代金を支払った。 2人の少年たちは1400年5月に解放された。 現存する記録から、1402年2月にポルとヨハンがフィリップ豪胆公と契約し、4年間をかけ高級な聖書の装飾の仕事にかかった。 議論の余地もなく、リンブルク兄弟の最初の作品であった。 兄弟が作品を完成する前に、豪胆公が死んだ。 ヘルマン、ポル、ヨハンはのち1404年に、死んだ豪胆公の兄の元で働きだした。 彼は、芸術、特に本の贅沢な収集家であった。 兄弟の最初の課題はの装飾をすることであった。 これが現在所蔵の『ベリー公の美しき時祷書』(Belles Heures du Duc de Berry)である。 この仕事は1409年に完成し大いにベリー公を満足させた。 ベリー公は、時祷書のためのさらに野心的な計画を兄弟に命じた。 たぶん世界一価値のある本であろう。 これはフランス・(の町)にあるに所蔵されている。 ポルは特にベリー公と仲が良く、宮廷内で私的随行員valet de chambreの地位を与えられていた(叔父ヤンもブルゴーニュ宮廷で同じ地位を与えられていた)。 ベリー公はポルに、宝石との邸宅を与えた。 ポルは若い女性ジレット・ラ・メルシエールに恋をしたが、彼女の両親は賛成しなかった。 ベリー公はジレットを閉じこめ、王の命令があった時だけ自由にした。 1411年、ポルとジレットは結婚した。 しかし結婚生活で子供に恵まれなかった(結婚当時花嫁は12歳、花婿は24歳であった)。 1416年初め、ベリー公と、リンブルク兄弟が死んだ(兄弟は少なくとも30歳を超えていた)。 死因は不明である。 『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』は未完成のまま残された。 時祷書がの所有となった時、確認できない芸術家(おそらくであるといわれる)が1440年代に有名なこの暦を完成させる仕事に関わった。 1485年には、の物となっていた時祷書をが完成させた。 リンブルク兄弟の作品は、大部分が目につかなくなり、19世紀まで忘れ去られていた。 それにもかかわらず彼らはミニアチュール絵画のかなたに発展した、次世代の画家らの手本となった。 兄弟は北ヨーロッパの伝統のもとで仕事をしたが、からの影響が見られない。 脚注 [ ] [].

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ベリー公のいとも豪華なる時祷書

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本項で取り上げる暦頁は高価な顔料を多用し丹念に描写された各場面の類稀な表現や変化に富んだ図像展開は本書の中でも特に優れた部分として名高い。 また当時としては極めて稀な黄道十二宮による占星術的人体図が描かれたことは注目すべき点のひとつである。 各暦法の解説については下部に別途記した。 なお本書はペストによってベリー公とランブール兄弟が死去したために未完に終わるも、15世紀中葉にルネ王周辺の画家(複数人説も唱えられる)が手を加えた後、1485-89年頃に画家ジャン・コロンブが完成させたとされるが、関与した範囲は今なお調査中である。 ベリー公をはじめ、高位の聖職者や貴族ら賓客の他、従者、兵士など様々な人々が描かれる本挿絵(ミニアチュール)の祝宴の舞台となったのはオテル・ド・ジア宮廷大広間と推測されている。 関連: 【2月部分『』】 第3葉2月部分に描かれる『』。 農家の中で暖をとる男女らや羊小屋、屋外で働く人々など当時の寒々しい冬の生活がありありと描写されている。 また奥行きを感じさせる急激な構図は本頁の注目すべき点である。 関連: 【3月部分『』】 第4葉3月部分に描かれる『』。 ベリー公の居城を背景に、畑を畜牛に鋤を牽かせ耕す農夫や、種まき、葡萄の木々の手入れなど農民の労働を豊穣の象徴として描いている。 また本頁は後世の画家の手が入ると推測される 関連: 【4月部分『』】 第5葉4月部分に描かれる『』。 司祭が執り行う婚姻の儀で二人の王族が立会人に見守られながら指輪を交換し、傍らで侍女たちが草花を摘んでいる。 高価なラピスラズリを多用した鮮やかな群青色が、本場面によく映えている。 関連: 【5月部分『』】 第6葉5月部分に描かれる『』。 5月1日におこなわれる伝統行事『若葉狩り』に向かう貴族らの騎馬行進を描いた本頁の解釈は、ベリー公が娘をその婚約者の下へ連れている場面であるとする説も唱えられている。 関連: 【6月部分『』】 第7葉6月部分に描かれる『』。 豊富な栄養を含む為、家畜の飼料に用いられる夏草を刈り入れる人々を描いた本作を完成させたのは、15世紀中葉の画家とする説とジャン・コロンブとする説が唱えられ、現在も議論が続いている。 関連: 【7月部分『』】 第8葉7月部分に描かれる『』。 当時の農民にとって7月の重要な仕事である小麦の刈り入れと、羊の毛の刈り込みの作業が、典型的な田園風景の中で情緒豊かに描かれている。 関連: 【8月部分『』】 第9葉8月部分に描かれる『』。 前景では従者に導かれ裕福な諸侯らに人気の高い娯楽である鷹狩りに出かける貴族らが、中景では川遊びをおこなう人々、藁束をつくる農民が、遠景にはシャトゥー・デタンプ城が描かれている。 関連: 【9月部分『』】 第10葉9月部分に描かれる『』。 勇壮なソーミュール城の前の丘陵の畑に実った葡萄を収穫は秋の代表的な農民の仕事である。 またこの前景部分を完成させたのはジャン・コロンブであると推測されている。 関連: 【10月部分『』】 第11葉10月部分に描かれる『』。 本頁は古くから秋の情景として馴染みあった種播きの場面で、前景では種播きをする男、馬に重石を乗せた耕器を引かせる男が、後景には当時新築されたばかりのルーヴル宮が描かれている。 関連: 【11月部分『』】 第12葉11月部分に描かれる『』。 冬に備え家畜である豚に団栗(ドングリ)の実を食べさせる本場面は農民にとってこの季節の重要な仕事のひとつであった。 また本頁は全面的にジャン・コロンブの手が入っている。 関連: 【12月部分『』】 第13葉12月部分に描かれる『』。 複数頭の猟犬によって猪狩りがおこなわれる本場面は、冬としては珍しい主題で、傍らでは男が角笛を吹き狩猟の収穫を告げている。 本頁はジャン・コロンブ以外の画家によって完成させられたと考えられている。 関連: 【】 第14葉『』。 当時としては時祷書に描かれることが極めて稀であった黄道十二宮による占星術的人体図は解剖学的な側面も見出せる。 また非常に優雅で繊細な各部分の描写は本時祷書の中でも別格の存在感を示す。 関連: Copyright C Salvastyle.

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