映画 ジョーカー ネタバレ。 【映画評価】ホアキン狂演に圧巻。映画ジョーカー ネタバレあり評価、感想、考察まとめ

2019年映画「ジョーカー」ネタバレ10選!意味深過ぎる内容も?

映画 ジョーカー ネタバレ

ようやくAmazonプライムでジョーカーを鑑賞しました。 ストーリー脚本が素晴らしい。 完全に、引き込まれてしまいました。 不景気、虐待、家族、精神疾患、裏切り、暴力、貧困、差別、格差社会。 主人公のアーサーには、ここまでは重なるかというぐらい、どうしょうもない不幸不運が重なら降りかかってくる。 まさにいろいろなバリエーションでの不幸の限りが組み込まれているので 誰もが、何かしら共感できてしまうところがあるのではないでしょうか。 そして、不幸、不条理の果てに、どん底にまで突き落とされる。 そして、たまたまこの社会に適合できなかった人間の止むに止まれぬ行動… 社会的メッセージ性色の強い映画、かな? と思いました。 そして、「いろいろ考えさせられることがあるなぁ」と鑑賞していたが最後… 結局、それはアーサーの妄想であったのでした、というオチ。 やられました(笑) そういう展開だったのか!という感じ。 私はこういう映画は大好きです。 映画は、やはり脚本ありき。 不幸な人もあれば幸せな人がある。 それは事実でしょう。 実際、主人公のアーサーも最終的には病院で手錠をはめられて、監禁されていました。 生きていると、自分の力ではとうてい抗うこともできない理不尽なことも、たくさんあるでしょう。 まさしく主人公のアーサーのように。 でも人生は、与えられた手札から始めなければならない。 決して、スタートラインは平等ではありません。 しかし、その人生で与えられた手札をどう見るか、どう捉えるかは人それぞれ、 つまり主観ではないでしょうか。 それは、認識・捉え方・想像力と言ってもいいかもしれませんし、 妄想することも可能でしょう。 そしてその妄想が、もしや起死回生の、あなたの「ジョーカー」となりうるかもしれません。 考えてみれば、喜劇も悲劇も恐怖も差別も、人間の妄想から生じるのかもしれません。 格差も芸術も、そしてカリスマも、まさしく映画も、ジョーカーも… いうなれば妄想がそれらを作り出している、あるいは作り出すきっかけを与えるのかもしれません。 世間基準での、良いものも。 悪いものも。 妄想から生まれる。 果たして妄想は、人生の救いにもなるのでしょうか。 個人的には、これらの原動力となりうるであろう妄想の可能性と恐ろしさも感じた映画でした。 私、バッドマン見ていません。 タクシードライバーは見ています。 いろいろなシーンで組み込まれたオマージュや、映像での光と影、階段のシーンなどが巧みに主人公アーサーの人生の上り下りを表現しているなど、たいへん綺麗な映画でした。 見ている人間の状況・状態・幸せ度によって、どうにでも理解できる映画であり 幸福度チェックできる(それも妄想かも?)映画ではないでしょうか。 この映画をどう捉えるか、妄想できるかは、あなた次第ではないでしょうか。 おすすめします。

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『ジョーカー Joker』感想(ネタバレ)…俺を評価できるのは俺だけ : シネマンドレイク:映画感想&レビュー

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この発言の意図するところを汲み取るのが、鑑賞者の責務であり、楽しみというものだろう。 ここからはネタバレを含む、個人的な考察になるので、鑑賞前の方はお気をつけください。 物語上は架空の街だが、70-80年代のニューヨークの当時の世相を反映した舞台だ。 貧富の差の拡大、蔓延する犯罪、セーフティネットの抹消、崩壊する行政システム。 そんな壊れた世界に産み落とされたのがアーサー・フレックであり、暴徒に囲まれたパトカーの上でダンスするジョーカーである。 しかしながら、急なラストシーンを見せられ「???」となった方も多いだろう。 狂気に満ちた社会を扇動するジョーカーが誕生したかと思いきや、次のカットでは病院の一室でカウンセリングを受けているアーサーが映し出される。 「あのあとすぐに捕まって、アーカム精神病院に収監されたのか?」 観客は一瞬そのように錯覚するのだが、これが本作のトリック 仕掛け なのだ。 もちろん、作中それを明言するようなシーンはない。 しかし、観客に示唆するような描写が散りばめられてるので、いくつか紹介したい。 1.ラストシーン、アーサーの髪色が黒に戻っている 作中、アーサーとジョーカーを分かつ明確な「線引き」をするために、自分の髪の毛を「緑」に染めるシーンがある。 あのシーンによって、ここまでが「アーサー」で、ここからが「ジョーカー」であると私たちに説明している。 暴徒に崇められる悪のカリスマは「緑」の髪の毛なのである。 しかし、精神病院に収監された後、なんの説明もなく髪の色が「黒」になっているのだ。 医者から染め戻されたのか?それともあの事件から長い年月が経って自然に黒になったのか?いや、そんな不自然な話はない。 物語上、象徴的な「緑」の髪が「黒」に戻るということは「アーサー」に戻ったのと同じことを意味する。 しかし、その後、ラストシーンでは結局「ジョーカー」として精神科医を殺害している。 髪の色が「黒」に戻った「アーサー」なら、そんな簡単に人は殺さない。 これは物語として大きな矛盾を生んでしまうことになる。 2.アーサーが"見ているはずのない"光景を回想している ラストシーン、アーサーは手錠をされた手でタバコを吸いながら、目の前の精神科医に笑っている理由を聞かれる。 その時にひとつの回想シーンが挿入されるのだが、これがまた矛盾をはらんでいる。 その回想シーンは「幼少期のブルース・ウェインが、暴徒に射殺された両親を目の前にたたずんでいる」というものだが、 この現場はアーサーが見ているはずのない光景なのだ。 作中、ジョーカーが引き金となったゴッサムシティの暴動の最中、ウェイン一家は運悪く暴徒に見つかってしまい両親は射殺される。 このシーンはバットマン作品のファンとしては嬉しい演出なのだが、射殺したのはジョーカーではなく、見ず知らずの1人の暴徒なのである。 その犯人であるなら見たかもしれない光景を、ラストシーンのアーサーがはっきりとした映像で回想しているというのは理屈が通らない。 彼はその現場にいなかったのだから。 つまり、ブルース・ウェインの両親射殺も、アーサーの妄想であることが示唆される。 このようにラストシーンには、物語の前提を大きく覆すような二つの矛盾が仕込まれているのだ。 また作中に出てくる、地下鉄でウェイン社の社員を射殺した際の発砲数が、と言った仕掛けも指摘されており、本編のほぼ全てが「アーサーの妄想」とすれば合点がいくことがある。 あの作品の最大の恐怖は、ジョーカーの出自が最後まで分からないことであるのだが、実はそのルールを本作でも忠実に踏襲していることになる。 本作で「ジョーカー誕生の秘話」が明かされるはずが、結局は我々は「ジョーカーの妄想」で煙に巻かれたのだ。 ここまで読んでいただけると、先に紹介した監督の「あのシーンだけが、彼が唯一純粋に笑っている場面です」というコメントの意味が分かるだろう。 あのシーンの「アーサー」だけが本物なのだ。 さて、そうなるとこの映画は単なる「妄想オチ」ということになるのだが、「ジョーク」を題材にした映画がそんな「最もつまらないオチ」をつける訳がない。 ここからは、もう一個踏み込んだ考察をしてみたい。 バットマンなんて存在しない 本作では、これまでのバットマン作品を踏襲したエピソードが多く盛り込まれている。 ブルース・ウェインの幼少期を描きつつ、執事アルフレッドの登場や、両親が射殺されるシーンなど。 これまでの作品のファンにとっては嬉しい監督の気遣いだ。 しかし、それすら「アーサーの妄想」だとしたら、どうだろうか。 DCコミックスの物語通りにいけば、社会が生み出した悪のカリスマであるジョーカーを、大人になったブルース・ウェインがバットマンとなり成敗するという流れになる。 しかし、本作のラストシーンが表すのは、バットマンすら「アーサーの妄想の産物」だということだ。 トーマス・ウェインも、ブルース・ウェインもこの世には存在しない。 凶暴な悪から、救い出してくれるヒーローはいないのだ。 トッド・フィリップス監督はこの点についても意味深な発言をしている。 私たちの頭の中では、このストーリーは1970年代後半から80年代初期の設定です。 これには多くの理由がありますが、主な理由はDCユニバースから切り離すため…。 今までの映画で観て来たジョーカーと、このジョーカーが共存することは避けたかったのです。 そのため意図的に、すべてその話が起こる前に設定しました。 このジョーカーは独立したものです。 そのため、大きなユニバースの一部としてつくったものではありません。 この作品をつくった目的は、皆さんが長い間知っていて、また愛着を感じているキャラクターを研究し、しっかりした現実的なキャラクターをつくり出すことにありました。 過去に素晴らしい俳優がジョーカーを演じていますし、素晴らしいコミックも書かれているため、チャレンジもあり怖い気持ちもありましたが、ホアキン(・フェニックス)と私にとって、自分たちの作品をつくることが大切でした。 もし、本作がDCユニバースの一部の作品であるなら、ラストシーンにおける精神科医は「ハーレイ・クイン」だと匂わせる演出があって然りだろう。 それこそファンは大喜びだ。 しかし、実際は黒人の精神科医であり、恋に落ちるどころか殺害されてしまう。 ハーレイ・クインのポジションであるべき精神科医を、わざわざこのような扱いにしているのも「この作品はDCユニバースと無関係だ」ということを観客に強調するためだろう。 つまり、この映画は「バットマンの系譜」であると鑑賞者が信じるほどに「すべて妄想の話だった」と理解することが難しくなる構造になっている。 心から信じていたことが真っ赤なウソであり、騙されていたと理解することは人間にとって難しい行いだから。 この映画の「オチ」はなんなのか? この映画は「オチ」こそがすべてである。 ロバート・デニーロ演じるマレー・フランクリンは、自身の番組に出演し、地下鉄での銃殺事件の犯人は自身であることを暴露するアーサーに対して「オチはなんだ?」と何度も詰め寄る。 「ジョークには常にオチがなければいけない」と再三確認するのがこの台詞の役割だ。 無論、本作もこのルールからは漏れない。 ここまで「すべてはアーサーの妄想だった」「バットマンすら存在しない」という考察を述べてきた。 十分に面白いドンデン返しではあるのだが、正直これだけでは本作の期待を超えるようなオチだとは思えない。 何かもっと重大なオチがあるのではないかと感じた。 そこでふと気づいたことがある。 もしもすべてが「妄想の物語」であるなら、ラストシーンの男は誰なのだろう? 名前も「アーサー・フレック」だという確証はない。 なぜならアーサーは「妄想の物語」の登場人物なのだから。 そしてラストシーンの年代はいつなのだろうか?私たちは80年代設定の映画だと信じていたが、その前提すら外されてしまう。 ラストシーンでは気味の悪い笑いをあげる男が「アーサー」であることも説明されないし、年代の説明もない。 出所も身元も不明のままなのだ。 ここからはあまり確証が少なく私見が入るのだが、 実はラストシーンの男は「現代」にいるのではないだろうか? 本作はマーティン・スコセッシ監督の「タクシードライバー」や「キングオブコメディ」に強い影響を受けた作品ということはよく知られている。 それらは1970-80年代のニューヨークの実際の世相を反映した代表的な映画だ。 トッド・フィリップス監督がこの二つの作品をそのまま焼き直すような同じ年代の脚本を書く訳がない。 過去の世相と現代の世相を繋ぐ作品をつくると考える方が自然だ。 ラストシーンだけが「現代」の設定になっていると仮定すると 「ジョーカー」はすでにこの世に生まれている、存在しているということを暗示することになる。 狂気はすでに私たちの社会に生まれており、今や遅しと社会の崩壊を待っているのだ。 そして、我々を救ってくれるバットマンは存在しない。 ここまで気づいた時に、得体の知れない恐ろしさを含んだ映画なのだと思った。 富める者はより富み、貧しき者はより貧しくなる世界。 広がる貧富の差から社会は不安定になり、怒りや恐れといった市民の衝動によってボイコットや暴動、差別を助長し分断が加速するような運動が起きている。 崩壊しつつある社会システムをケアすべき政治すら、資本家によってコントロールされている。 トッド・フィリップスとホアキン・フェニックスは、そんな現代への問題提起を映画に込めたのだろうか? いや、それよりも「 こんな狂った世界は、もう笑って生きるしかないよね」という超悲観的な楽観主義を我々に提案しているのかもしれない。 最後に劇中でも流れるJimmy Duranteの「Smile」の歌詞を貼ってこのブログを締めたいと思う。 Smile, though your heart is achin' Smile even though it's breakin' When there are clouds in the sky You'll get by If you smile through your fear and sorrow Smile and maybe tomorrow You'll see the sun come shinin' through For you Light up your face with gladness Hide, every trace of sadness Although a tear May be ever so near.

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映画ジョーカー ネタバレ含みます

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しかし、今作のジョーカー(アーサー)が初めからそんな人物だったかというとそうではありませんでした。 アーサーは突然大声で笑ってしまう精神障害を持っていて、年老いた母と暮らす彼は母想いで、コメディアンを目指して日々頑張ってはいますが、あまり笑いのセンスがあるようには思えません。 映画の冒頭では、ピエロのメイクをしたアーサーが看板を持ってお店の宣伝をする仕事をしていますが、看板を10代くらいのストリートチルドレンたちに奪われてしまい、追いかけたアーサーは路地裏でボコボコに殴られてしまいます。 映画の冒頭からアーサーは不運なんですよね。 完全にアーサーが被害者あるにもかかわらず、社長(?)に盗まれた看板を会社に返さないのであれば次の給料から代金分を引くなんてことを言われてしまいます。 序盤だけでも、アーサーの周りには優しい味方がいないことが分かります。 そして、アーサーは身の安全を守るために同僚から銃を受け取りますが、小児病院にてピエロの姿で踊っている際に、ポケットから銃を落としてしまうんですね。 あのアーサーの焦った感じはフフっとなるシーンではありましたが、小児病院に銃を持ち込んだアーサーは会社をクビになってしまいます。 さらに追い討ちをかけるかのように、精神疾患を患っているアーサーが通っている社会奉仕プログラムの活動が、市の資金援助を受けることができなくなってしまい閉鎖となってしまいます。 これによって、アーサーは病気の薬をもらえなくなってしまうのです。 その帰り途中にまた不運な出来事が起きます。 電車に乗ったアーサーは大声で笑ってしまう発作が起き、3人の証券マンにしつこく絡まれてしまいます。 ヘタな歌を歌いながら絡んでくる証券マンに対し、アーサーは銃を取り出して3人を殺害してしまいます。 このシーンが、彼の中にジョーカーとしての人格が芽生えた瞬間でもありました。 銃弾を当てて倒れた死体にさらに何発も撃つ姿は、ジョーカーそのものなんですよね。 そして、この殺された3人というのがトーマス・ウェイン(ブルースの父)の会社に務める3人でした。 大企業に務める彼らはエリートだったわけですが、そんな彼らを殺したアーサー(ピエロのメイクをしていたため、まだ犯人とは知られていない)は貧困層から英雄視され 、ピエロがゴッサムの金持ちに対する抗議運動のシンボルとなります。 ほとんどの人から見向きもされなかった彼が人を殺したことで担ぎ上げられ、英雄視されてしまうこの社会に恐ろしさを感じてしまいますが、貧困層にとってはそれくらい不満が溜まっていた社会だったのでしょう。 番組は盛り上がりを見せてマーレイからも感謝をされますが、その後のマーレイの番組では、コメディアンとしてお笑いトークライブに参加するアーサーの姿が映し出され、スベりまくるアーサーに対して、マーレイはバカにする様な態度をとり、コメディアンとしての才能が無い的なこと言います。 それを見ていたアーサーは裏切られ、怒りを覚えるのですね。 ただ、マーレイの番組観覧に参加した際に盛り上がりを見せたと書きましたが、これはアーサーの思い込みである可能性が高いです。 アーサーは精神疾患が原因で、実際にはしていないことをしたと錯覚してしまうことがあります。 例えば、アーサーは近所に住む女性・ソフィーと仲良くなり、デートをしたり恋人のような関係の二人が映し出されていましたが、後々これはアーサーの脳内での出来事で、ソフィーとデートをしていた事実は無いことがわかります。 なので映画の中で映し出されるものが実際に起きたことなのか、それともアーサーの脳内で作られた錯覚なのか分からない部分もあり、個人的には番組観覧でステージ上にあげられ、拍手喝采を受けたあのシーンは錯覚だと感じました。 そして、番組内でぞんざいに扱われたアーサーでしたが、スベりまくっていた映像が話題となったようで、番組から出演のオファーを受けて出演することになります。 この時には証券マンの3人の他に、自分の母と以前の職場の同僚も殺しているので、あのサイコパスなジョーカーとしてのアーサーがほぼ出来上がっています。 番組に出演したジョーカーは証券マンを殺したのは自分であること、腐敗した世の中や金持ちへの批判をし、司会者のマーレイを射殺します。 そして、ゴッサムは荒れに荒れてしまいます。 てっきりジョーカーという人間は、周りに優しい家族や友達がいて何不自由ない生活をしていたとしても、凶悪な犯罪を起こしてしまうサイコパス的な人物だと思っていたのですが、実際のジョーカーを見てみると、コメディアンという夢を追い続け、母の面倒を見て子供を笑顔にさせようとする優しくて普通の人間でした。 その普通の人間が幼少期に虐待を受け、精神的な病を患い、周りの人に優しくされることはなく、テレビで夢を笑われ、仕事も失ってしまったとなれば、悪の道に進んでしまうことも理解できます。 悪の道に好き好んで進むというよりかは、仕方なく悪の道に進むことしか、居場所がなかったのかもしれません。 そして、本作を見て「誰もがジョーカーになりうる」と感じました。 実際、テロの背景には差別や不遇、社会への不満を感じて事件を起こす人がいます。 どんな理由があってもテロ行為が許されることではありませんし、罪のない人が犠牲になることは断じて許されませんが、相手の視点に立ってみると、事件を起こす人も何かの被害者である可能性があります。 世界中で格差が広がる昨今、この映画が教えてくれるメッセージは重要だ思いましたし、誰かを思いやる優しさの大切さを改めて感じましたね。 正義を信じ続けてきた彼は裏切られ、人の命を奪うような人間になってしまいます。 ジョーカーが凶悪な事件の数々を起こして証明してみせた「ハービー・デントのような正義の象徴も悪に堕とせる」ということは、アーサーが悪のカリスマ・ジョーカーになった経緯と同じでした。 普通の人間も善人も、何かのきっかけでジョーカーのような人間になる可能性があるというのは認めたくはないですが、これが正しい答えなんだろうなと思いました。 特に大声で笑うシーンでは、こちらも初めはつられてフフと笑ってしまうのですが、笑っている時間の長さに不安になり、不気味で逆に恐くなってしまうんですよね。 そして、時折笑いすぎて息を詰ませる演技では、こちらも呼吸をするのを忘れてしまって息苦しくなってしまうような演技でした。 それに、笑いってたまに泣いているように聞こえる時がありませんか?笑うように泣く人とか、泣くように笑う人っていますよね。 アーサーが病院から母(ペニー)の診断書を盗み取った時、自分が養子であることやペニーが精神障害であることを知ります。 ペニーにも裏切られていたことに気付いた時、アーサーの発作がでて笑ってしまうのですが、その時のアーサーの笑いは泣いているように聞こえました。 悲しみを感じさせる笑いが出来るのはすごかったですし、現実か錯覚か分からない中で、徐々に悪へと堕ちていくジョーカーの演技は素晴らしいものがありました。 【考察】悪の神となったジョーカー.

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