沢田研二 なぜ太った。 沢田研二(ジュリー)さんと志村けんさんの仲良し秘話!2人のコントやヒゲダンスなど共演動画も!沢田研二さんと志村けんさんの仲まとめ!

キングヌー井口が痩せてた頃から太った時までの体形変化まとめ

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沢田研二さんは、1948年6月25日生まれです。 鳥取県鳥取市生まれですが、京都府京都市育ちです。 京都にあるCafe Barton」という小さな喫茶店の白河通りを挟んだ向かいに、沢田研二さんの実家があります。 現在の自宅は横浜にあります。 長い間横浜に住んでいて「もう引っ越す気がしない」とか「横浜でお墓を探さないといけない」といった旨の発言をされているようなので、かなり横浜が気に入っているみたいで、今後も横浜に住む予定みたいです。 デビュー 沢田研二さんは、1967年2月5日、岸部一徳さんらと共にザ・タイガースのボーカリストとしてデビューしました。 ヒット曲を連発して、国民的アイドルになっています。 そして、1969年3月1日には、アメリカの音楽雑誌『ローリング・ストーン』の表紙を飾っています。 日本人が表紙を飾ったのは沢田研二さんだけなのだとか。 タイガーズを解散してから、PYG(ピッグ)というバンドに加入して、萩原健一さんとのツインボーカルとして活躍していました。 1971年11月1日、沢田研二さんはソロデビューをします。 1973年『危険なふたり』で65万枚を売り上げ、ソロとして初のオリコン1位を獲得して、第4回日本歌謡大賞を受賞します。 沢田研二の歌手活動歴 特にアイドル系グループ・サウンズ全盛期の沢田研二さんの魅力は凄まじかったようで、タイガース時代には若者を失神させ、「君だけに愛を」の曲では、指を向けられたファンが失禁したのだという噂もあります。 しかしながら沢田研二さんの性格は、虫の居所が悪ければとことん機嫌が悪いと極端な性格。 横暴な性格? 「浮き沈みが激しいのは元から」でファンに対してもキツイ態度で「帰れー!」と言ったこともあるのだとか。 ファンに対してもキツイ態度を取るのは、実は裏の理由もあり、若い時に、追っかけやつきまといが多かった為に、色眼鏡で見られる事が嫌いだったといいます。 沢田研二の今・現在が丸刈り姿で激太りな理由 沢田研二さんは、音楽番組だけでなく、バラエティ番組でも人気を博していましたが、1992年頃からテレビの露出が激減しました。 沢田研二さんは、1975年27歳の時に、ザ・ピーナッツの伊藤エミさんと結婚しています。 伊藤エミさんとの間に、子供が1人います。 1979年に生まれた澤田一人(かずと)さんです。 息子の澤田一人さんは、今年で39歳ということになりますが、音楽関係の仕事をしていて、ネットでは、障害を持っているといううわさがありますが、全く証拠がないので、単なる噂です。 田中裕子さんと沢田研二さんとの間には、子供はいません。 沢田研二の反原発ソングに仰天!コンサートでファンに暴言も!? 沢田研二さんは、東日本大震災発生に際して、「3月8日の雲~カガヤケイノチ」というミニアルバムを発売しました。 中でも、脱原発をテーマにした「F・A・P・P(フクシマ・アトミック・パワー・プラント)」という楽曲中には、「バイバイ原発」「へこたれないで福島」などという、ストレートなメッセージが込められています。 人気絶頂期の中性的で妖艶な雰囲気から一転、反原発ソングを堂々と歌い上げる現在の沢田研二さんは、次世代の若者たちから、市井の音楽が好きな団塊世代のオジさんとして認められ、今も意気軒昂です。 沢田研二コンサートではMC炸裂!「嫌なら帰れ!」 沢田研二さんは、最近、自分のコンサートではかなり自由に振る舞っているようです。 ウェーブがかかり長かった髪は、白髪頭で短く切り、その分あご髭を蓄えている沢田研二さん。 昭和の頃から比べれば、体重は倍近くになっているようですが、その歌声やステップは変わらず、オヤジの色気に溢れています。 MCでは、さすがに団塊の世代らしく、結構時事問題に触れることが多い様子。 イスラム国による日本人人質事件が報じられた当日のコンサートでは、「皆さん、大変な事態になりました。 日本の将来を憂うのではなく、自分自身の頭と心で考えなければなりません」と熱く語りはじめました。 暴言行動 ところが、客席から、「歌って~!」と甘えた声がかかると、即座に「黙っとれ!誰かの意見を聞きたいんじゃない。 嫌なら帰れ!」と観客を怒鳴りつけ、会場が凍りつく事態になったとか。 沢田研二のこの暴言行動に関しては、賛否両論が巻き起こりました。 沢田研二の夏の全国ツアーは今も中高年女性が総立ち!! 沢田研二さんは1967年のデビュー以来、沢田研二の夏のコンサートは、実に半世紀を迎えます。 初日公演は、東京国際フォーラムにて。 オープニング曲「ポラロイドGIRL」が流れると同時に、5000人のファンはすでに総立ち。 場内を包む悲鳴のような歓声が、中高年の女性たちを、十代の少女に戻します。 沢田研二さんは、両腕を突き上げ、その後もステージを縦横無尽に動き回って、「TOKIO」など往年の大ヒット曲から、最新曲「un democratic love」まで、全23曲を熱唱しました。 もちろん、MCでは、時々の社会問題に触れることを忘れません。 今でも変わらず自由奔放なジュリー 「障害者を600人殺すというやつが出てきて、のほほんとライブをしていていいのか」と、相模原障害者施設殺傷事件に心を痛めたかと思えば、「ポケモンGO」をめぐる騒動に関しては、「オタクを外に出したいから作ったって、出てきたら事故が起きている。 おそろしいでえ」と、オヤジらしい、辛辣な皮肉を放っていました。 スターであり続けるからこその、栄光と挫折を味わいつくした沢田研二さんは、21世紀の実体のない空っぽの世の中など我関せず。 1人の70歳になるオヤジに戻って、自分が愛した音楽を素直に楽しんでいるその姿には、清々しさすら感じられます。 まさに沢田研二さんのヒット曲「時の過ぎゆくままに」のようにです。 現在、激太り中の沢田研二。 その真相は? 昔と違い、現在の姿を見て、すっかり太ってしまい、いきなり老けたので、病気なのではないかと憶測が飛び交っています。 丸刈りによる変貌の原因は病気なのか気になるところですが、今まで沢田研二さんの口から病気などの発言を聞いたことはありません。 沢田研二さんは、元々が太りやすい体質だったと言います。 若い頃は、かなりの節制生活をしていて、常にお腹がすいた状態だったといいます。 現在は、ストレスが原因で暴飲暴食などに走ったということはないようです、そして今回の役作りの「丸刈り姿」がなおもそれを強調してしまったかのかも知れませんね。 もう70歳になった沢田研二さんですが、これらも精力的な活動をしてくれるでしょう! あなたにオススメ.

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沢田研二の現在画像が太った?激太りの理由や若い頃のイケメンと比較!

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ジュリー(沢田研二)ってあんなに綺麗だったのに、いつの間に太ったんだろう? 甘いとろけるようなハンサムボーイだったのに、今はちょいジャバザハット入ってるもんね。 自分の中でふと素朴な疑問が湧きあがったので調べてみました。 <2019年1月25日 2019年武道館3days直後のジュリーの写真を追加しました> <2020年3月24日 削除された動画を近い時代のものと差し替えました>• ジュリー(沢田研二)とは? 1948年6月25日生まれの70歳(2018年10月現在)。 日本の歌手、俳優、作詞・作曲家。 京都府京都市育ち。 身長171cm。 ザ・タイガースのボーカリストとしてデビューし、グループサウンズブームを牽引する。 解散後はソロシンガーとして人気を博す。 ニックネームのジュリーは、沢田が女優のジュリー・アンドリュースのファンだったことに由来する。 (渋い俳優になっている岸部一徳は背が高かったのでビートルズの「long tall sally」に由来し、サリーというニックネームだった) ジュリー(沢田研二)がおデブな巨漢の肥満になったのはいつ? (さんざんな言いようだな…) という謎を動画で紐解いていきます。 デビューから順を追っておいかけていきますよ〜っと。 19歳から23歳まで ザ・タイガース時代の若かりし頃のジュリー(沢田研二) 19歳(1967年)の時にザ・タイガースのボーカルとして、シングル「僕のマリー」でデビュー。 ジュリー(沢田研二)が20歳の頃(1968年)リリースした「花の首飾り」の動画を発見! ただ、ボーカルがジュリーじゃなくて、加橋かつみなので、ジュリーはたまにしか登場しないので見逃さないでくださいね。 1967年2月5日に、ザ・タイガースのボーカルとしてシングル「僕のマリー」でデビューしました。 何年の動画かは不明ですが、PYGハ1971年から72年までの短命バンドだったため、その当時のものと思われます。 ジュリー(沢田研二)とショーケン(萩原健一)のツインボーカルバンドでした。 当時のライブ動画は発見できなかったものの、プロモーション映像を見つけました。 2人ともスターだね! 1971年11月1日にリリースされたソロファーストシングル「君をのせて」のプロモーション映像を発見したのでこちらにどうぞ。 こちらは、ジュリー(沢田研二)推定23-24歳とのこと。 PYGでバンド形態でロックがやりたくてたまらなかったジュリーには、酷ともいえる演歌調のミディアムバラード… 世の中ってせちがらいね。 ジュリー(沢田研二)25歳から29歳まで あまりにも美しすぎる! ジュリー(沢田研二)25歳。 1973年リリース「危険なふたり」が大ヒット。 第4回日本歌謡大賞を受賞。 ジュリー(沢田研二)27歳。 自身が主演したテレビドラマ「悪魔のようなあいつ」の主題歌、1975年リリース「時の過ぎゆくままに」が累計売上92万枚を売り上げる大ヒット。 自身最大のヒット曲となる。 同年ザ・ピーナッツの伊藤エミと比叡山延暦寺で挙式。 ジュリーが人生で最も美しかった時(だと私は思う)。 動画の伏し目がちのうれいをおびたジュリーを見て欲しい。 たまらんから! ジュリー(沢田研二)28歳。 1977年リリース「勝手にしやがれ」も89万枚の大ヒット。 曲中に帽子をシュッと飛ばすんよね。 阿久悠さん作詞、大野克夫さん作曲。 帽子を投げるアクションが話題に。 1978年リリース「サムライ」。 半裸のジュリーエロいっす! とっても綺麗っす! 4K映像なので、是非見て欲しい!!! 参考: 1978年リリース「LOVE 抱きしめたい 」 スタジオに雨やら雪やら血やらが降る演出が話題に。 ちょっとこの動画の衣装は大仁田っぽい。 第20回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞し、第29回NHK紅白歌合戦ではトリとつとめる。 名実ともに日本のトップスターに! ジュリー男ざかり!振り切れコスプレ期(ヴィジュアル期)30代 ジュリー(沢田研二)30歳。 1979年。 間奏で瓶に入った液体を口にふくんで霧のように吹く演出が話題に。 大仁田って言った直後に、グレートムタっぽい演出。 マレーネデートリッヒぽいメイクがイカす。 ここらへんから、曲が哀愁漂う歌謡曲からだんだんと、チャラめのロックになっていくんだよね。 1980年の日本が最も景気の良かった時代、お祭り騒ぎみたいな時代を投影されてるなあと、見返してみると関心しきり。 参考:マレーネデートリッヒさん ジュリー(沢田研二)31歳。 1980年。 糸井重里が作詞して、日本国民の度肝を抜いたド派手演出の「TOKIO」。 話題にはなったけどさほど実はヒットしてないんだよね。 オリコン最高位8位。 テレビのバラエティ番組「俺たちひょうきん族」のタケちゃんマンはTOKIOの衣装のオマージュだよね。 他の人と比べると細いけど、以前のジュリーと比べると、ちょっとだけ太ったかなあ。 参考:タケちゃんマン カラーコンタクトをして登場し話題になった「恋のバッド・チューニング」。 ぎょえー!ジュリーすごいー!! 参考:David Bowie - Blue Jean ジュリー(沢田研二)32歳。 1981年。 「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」は、第23回日本レコード大賞・金賞を受賞してます。 ネオロカビリー調のボンボンベースと、歪ませまくったギターサウンドが超かっこいいんや! ジュリー(沢田研二)33歳。 1982年。 「おまえにチェックイン」。 初期の佐野元春っぽいサウンドだなと思って調べたら、編曲が伊藤銀次だった。 景気の良い「ア!軽い!」サウンドです。 メロディーが弱く、印象の薄さがいなめない。 太ったというか、顔がむくんでいるのかな? このジュリーをみると、なんとなくカールスモーキー石井のことを思い出す。 ジュリー(沢田研二)34歳。 1983年。 「晴れのちBLUE BOY」。 オリコン最高位11位。 この曲もメロディー弱いよね。 ていうか、ジュリーは流し目と甘い声が魅力なので、明るすぎる曲はちょっと… ジュリー(沢田研二)35歳。 1984年。 オリコン最高位20位。 ちょっと頬のあたりがゆるんできた気がするぞ… ジュリー(沢田研二)36歳。 1985年。 渡辺プロダクションから独立、傘下の"株式会社ココロ"を設立し、レコード会社もポリドールから東芝EMIに移籍。 どうやら事務所ともめた模様。 「灰とダイヤモンド」は、楽曲が歌謡曲路線に戻っています。 ジュリーは憂いのある曲が似合うわ。 本人はアップテンポなロックナンバーが好きなんでしょうけど、ビジュアルも声質も歌謡曲が似合うんよね。 皮肉なことに。 休養期間から戻ってきたら、急にガッチリしました。 ムチムチしてます。 ジュリー(沢田研二)39歳。 1988年。 「TRUE BLUE」のMV。 かなりムッチリしていて、若かりし頃の京極夏彦っぽい。 ジュリー若干全体的にゆるんでくるけど、まだまだセクシー!男の色気が全開の40代 ジュリー(沢田研二)42歳。 1990年。 「DOWN」を夜ヒットで披露。 アルバム収録曲で、前年の紅白歌合戦で披露されていた。 化粧をした古田新太に見えなくもない。 ジュリー(沢田研二)43歳。 1991年。 これ以降、新曲をリリースしてもテレビに出演していない模様。 PVを見て、ジュリー痩せたなあと思ったのだけれど、あごをさいごまでしゃくらせていて、一度もあごをひいていないだけだった。 あごをしゃくらせると、顔がすっきり見えるというテクをジュリーに教えてもらいました。 ジュリー(沢田研二)46歳。 1994年。 久しぶりのテレビ出演映像発見。 同年リリースしたシングル「HELLO」を披露。 「第45回NHK紅白歌合戦」の映像です。 画像が荒くてわからないのだけど、ヘソだしルックしてない? ま、まさかね… ジュリー(沢田研二)49歳。 1997年。 テレビ出演映像はないものの、同年リリースの「サーモスタットな夏」を披露するライブ動画発見。 中条きよしがリオのカーニバルに行った的な映像に見えるよ。 8 — 90's音楽bot II 90smusicbot2 ジュリーが現在のジュリーに近づいていく50代 ジュリー(沢田研二)52歳。 2000年。 1999年にリリースしたシングル「鼓動」をコンサートで披露しています。 胸元を大きくはだけた衣装を着用。 ファンならたまらんだろうけど、冷静に見るとなんかいろいろとすごい。 2001年。 ミュージックフェアに出演した時の映像。 前年のコンサート動画よりも、かなりすっきりしている印象。 太った時のGLAYのTERUみたいな感じ。 ダークカラーのスーツを着ておけば、決して肥満という感じではない。 年相応の体型をした、ハンサムな美中年なのだ。 <残念…動画が削除されてしまいました> ジュリー(沢田研二)55歳 2003年 ここ! 美中年からぽっちゃりしたおっさんになったのここ! この動画はコンサートがフルに収録されてるので、みていただいたらわかるのですが、衣装替えがかなり多く、55歳になっても、太っても、やはりファンにとってはジュリーは永遠のアイドルなんだなあと。 客観的にみたらコスプレしてるホリエモンに見える… <残念…動画が削除されてしまいました> ジュリー(沢田研二)59歳。 2007年。 フリフリのギンガムチェックのシャツ… ジュリー還暦!60代になりました ジュリー(沢田研二)60歳。 2008年。 今度は彦摩呂に見える… ジュリー(沢田研二)62歳。 2010年。 オフィシャルMV。 後半登場します。 ジュリー(沢田研二)65歳。 2013年。 テレビのドキュメンタリー映像です。 まだ、この時点でジュリーは太ったおじさん。 ジュリー(沢田研二)68歳。 2016年。 画像しか見つからず。 この時点では既にじいさんになっている。 出典: ジュリー(沢田研二)70歳。 2019年。 画像しか見つからず。 2019年1月のツアーファイナル武道館3days直後の画像。 前年のさいたまスーパーアリーナドタキャン騒動の心労からか、若干ほっそりしたように見受けられます。 チェックオンチェックの着こなしに玉虫色のベンチコート。 ファッションがなんかすごい。 出典: 結論!ジュリーはいつ太ったのか? 40代に差し掛かったあたりから、あごに肉がつきはじめて、2003年の55歳になったあたりから、ふっくらからボテっとしてしまった。 2016年には白髪染めをやめ、ひげをたくわえじいさんになってしまった。 ジュリー関連の記事いっぱい書きました! もう私ジュリーに夢中!こんなスターが日本にいたなんて。 妖艶でチャーミングで最高〜! よくぞここまで読んでくださいました。 他にも音楽のこと書いてるのでどうぞ。 jikobukken.

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ジュリーはいつ太ったのか?沢田研二巨大化(デブ・肥満)の歴史を動画で追う

沢田研二 なぜ太った

ダイエットアドバイザーのJUNです。 まずは をチェック! 今回は、ジュリーこと沢田研二がメタボともいえるほど激太りに太った感じですが、その理由について、そして今からできる激太り対策について言及していきたいと思います。 ジュリーこと、沢田研二のプロフィールからお話していきます。 ジュリーはかなりのイケメンですね。 沢田 研二(さわだ けんじ) 1948年6月25日生まれ。 鳥取県鳥取市出身。 本名は、澤田研二。 ニックネームのジュリーの由来は、沢田自身が女優のジュリー・アンドリュースのファンであるところからきたそうです。 星座:かに座 職業:歌手、俳優、作詞・作曲家 妻は、女優の田中裕子 (前妻は、元ザ・ピーナッツの故伊藤エミ) 歌手として、ザ・タイガース、PYG時代を含めるとシングルの総売り上げは1,666万枚と驚異的な数字を残しています。 沢田研二は、中学校では野球部、高校では空手部に所属しており、なかなかのスポーツマンだったようです。 音楽の世界に入ったのは、スカウトがきっかけでしたが、その後、内田裕也にスカウトされて、グループ名をタイガースと改名しました。 昭和42年、グループサウンズのプリンス、ザ・タイガースのジュリーとしてデビューした沢田研二ですが、デビューした19歳の時は、身長171cm、体重は48kgでした。 今までの音楽界にないアイドルバンド「ザ・タイガース」の鮮烈なデビューだったようです。 昭和50年代のソロ全盛期時代。 そのころの体重は57kgでした。 その頃は、過密スケジュールのために「よく食べるなぁ」と言われるほど、たくさん食べていたそうですが、沢田研二は、「食べ過ぎたかな?」と思うと、「ちょっと吐いてくる」と言っていたそうです。 過剰なまでの体重抑制をしていたと思われるアイドル時代とは変わり、激太り街道にはいったのは、50代に入ってからのことでした。 (こちらの画像は60代ですが) 激太りした原因は病気!?との噂がありますが、実際はそうではなさそうです。 ですがジュリーこと沢田研二が激太りした原因が直接的に「病気」でなかったとしても、現在の状態では、もう病気になっていてもおかしくないくらいの体型であることは確かなことです。 そのあたりは後程、お話していきます。 現在の沢田研二が激太りした原因は、元々、太りやすい体質であると言われています。 そもそも太りやすい体質とはどういったものなのでしょうか?? 太りやすい体質なのか太りにくい体質なのかを分けるポイントは3つあります。 太りやすい体質の人は、この基礎代謝が低く、太りにくい体質の人は高いと言われています。 太りにくい人は、基礎代謝が高いために、食べ物で摂取したカロリーをより多く消費することができるので、食べても太りにくいということが言えますが、反対に、基礎代謝が低いと、もともと活動自体で必要なエネルギーが少ないので、余分に摂り過ぎたカロリーが 脂肪として蓄積されやすく、太りやすくなってしまうのです。 基礎代謝を高くするためには、筋力トレーニングで筋肉を増やすことが大事ですので、太りやすいと感じているのならば、積極的にトレーニングをすることです。 また、基礎代謝というのは、痩せていくと低くなってしまうので、筋トレをせずに食事制限のみで痩せてしまうと、結果として基礎代謝が落ちて、太りやすい体質になってしまいます。 沢田研二の場合、デビューしたての頃が48kg。 そして昭和50年代のソロ全盛期でさえも、57kgでした。 これは何を意味しているかというと、ほぼ筋肉がなく、骨と皮状態であるということです。 つまり、基礎代謝が低いので、活動量が落ちてしまうと、太りやすくなってしまうのです。 ですから、現在のジュリー沢田研二の激太りの原因は、若い時に筋肉があまりなかったことともいえるのです。 当然、脂肪細胞が多く、そして大きい人は、多くの脂肪を吸収しやすいので太りやすく、逆に脂肪細胞が小さい人は、 脂肪を吸収するのですが、スペース自体小さいので、吸収する量が少ないため、太りにくいというわけです。 人間の脂肪細胞が増える時期というのは、一生のうちに3回あります。 1.胎児の時期 2.出産から1歳ぐらいまで 3.中学生ぐらいまでの思春期 この3つの時期の中では、特に胎児の時期の影響が一番大きいようです。 この時期にたくさん食べ物を摂り過ぎると、赤ちゃんの脂肪細胞が増えて太りやすい体質になるということです。 ジュリー沢田研二の胎児・あかちゃんの時代というのはあまりよくわかりませんが、中学生の時は、野球に打ち込んでいたということもあるので、あまり太っていたわけではないと考えられます。 したがって、脂肪細胞の大小がどうとかというのは、ジュリー沢田研二の激太りの原因であることは薄いといってもいいかもしれません。 痩せの大食いなんて言葉がありますが、太っていないのに異常に食べられるというのは、実はこの消化吸収能力が普通の人と違うからなのです。 痩せの大食いの人たちは、「食べているのに太らない」という体質ですが、この人たちは、食べても食べても消化吸収が十分にされにくいという特殊な体質であるのです。 食べ物が吸収されにくいので、食べ物がそのまま消化器官を素通りしてしまうのです。 つまり、余計にたくさん食べないと必要なカロリーを摂取できないということです。 と考えると、太って激太りした沢田研二は、きっと消化吸収能力が高いということなのがわかりますね。 とはいっても太りにくい体質だから太らないと言っているわけではありません。 結局のところは、やはり「太った」というのは、別の所に原因があるはずなのです。 現に、ジュリー沢田研二は、食べるのが好きなようで、休みの日は、昼間から横浜のビアガーデンによく行くそうです。 また、外食も大好きなので、知人から送られてくるHanako(女性情報誌)を観ては、「このお店にいってみよう!」と奥さまである田中裕子とよく外食に行くようです。 やっぱり、そうきたか!?という感じですが、基本的に、激太りしている人は食べるのが大好きです。 良くも悪くも(笑)。 とくに、外食ともなると、必要な栄養バランスとかカロリーをコントロールするという考え方よりも、いかに見た目がきれいで、いかに美味しく、をテーマに作られていることが多いので、どうしても油脂を多く摂り過ぎてしまう傾向にありますし、家庭での食事であれば量もコントロールできますが、外食となると量が多すぎるということもありますし、さすがに、それを残すわけにはいきません。 現在の沢田研二が、激太りした原因は、もしかしたら所に理由があるかもしれません。 それは、「美意識」です。 ジュリー沢田研二の全盛期の頃は、衣装のデザイナーや周りのスタッフからも「太ったらカッコ悪いよ」と言われていたそうです。 こうした、人に見せる・魅せるという気持ちが、現在は無くなってしまったのではないか?ということです。 というよりは、若い頃の外見とは違う魅力というのを見せようとしているのかもしれません。 若い頃のジュリーは、その当時の音楽界にはないアイドルバンドというのが「売り」でした。 だとしたら、もし太ってしまったら大変なことになります。 それは、沢田研二本人もよく理解していたと思います。 アイドル=見た目がきれいでなくてはならない。 だから、異常なまでに外見にはこだわっていたと思います。 ただ美意識というのも、もちろんありますが、何よりもアイドルという象徴をジュリー自身、外見で創り上げていたとも言えます。 実際に、人気が低迷した80年代後半から、徐々に太り出したというのは、そういうこともあると思います。 緊張の糸がプッツンと切れたといいますか・・・。 また、メディアでは、沢田研二が太ったことについて、「田中裕子との不倫による因果応報」とも言われています。 田中裕子と、ジュリー沢田研二とは結婚しましたが、実は、結婚の前に田中裕子と沢田研二は不倫関係にあったのです。 1982年に映画「男はつらいよ」で共演したのをきっかけに不倫関係であった当時、沢田研二は、「故伊藤エミ」と結婚していました。 その後、ジュリー沢田研二は、故伊藤さんと1986年頃から別居し、翌年には離婚したのです。 出会いが不倫関係であった田中裕子が、沢田研二の浮気防止で太らせたのでは??という噂もあるぐらいです。 先ほどの「売り」というお話しにも近い部分もあると思いますが、沢田研二が激太りしたというのは、沢田研二本人が「太った体型から出せる歌声」に惹かれているということも関係しているといわれています。 沢田研二は、1990年頃から本格的に声楽を学びはじめ、クラシックの唱法で「荒城の月」を披露したこともあります。 沢田研二本人も、「オペラをする上では、痩せ過ぎていては良い声が出せないです」と話しているようで、今よりも、もっと太くて良い声を出すためには、「太ってもいい」という、考えがでてきたようです。 その後の雑誌のコメントにおいても、「無理に摂生しようとは思っていないです。 食べたいものは、我慢せずに食べるようにしている」と話していました。 実際、オペラ歌手には太っている人が多い。 それは、からだの中で起こる声の響きが、太っている人と痩せている人とでは違うというのも確かにあるようです。 また、不規則な時間帯での食事や、実力が増すとともに増えるパーティーへの招待やストレスなどでも大食いに走ってしまうとも言われています。 確かに、痩せている人と太っている人のどちらが良いか??というと痩せているのは、声楽的にあまり良くないようですが、激太りするぐらい太ってしまうと、体調管理という点においても難しくなるために、あまり良くはないのです。 ですから、現在の激太りの理由が、沢田研二の言う「歌声」のためという正当性はあまりなく、それはただの言い訳で、単に食べすぎてしまっているというのが主な原因であることは否めません。 最初にも少し触れましたが、現在の沢田研二の激太りについて、その理由は病気ではないという事が言えます。 ところが、こうも言いかえることができます。 それは、太った原因は病気ではないけれど、激太りしてしまったことで病気になる可能性を上げてしまったということです。 沢田研二の全盛期時代に57kgであった体重ですが、今はおそらく90kg以上になっていると言われています。 身長が171cmから伸びるわけではないので、間違いなく体重過多の状態です。 この状態で一番、危険なのはメタボリックシンドロームという生活習慣病という病気です。 ここで少しメタボリックシンドロームについて、触れていきたいと思います。 日本では2000万に以上が患っているという糖尿病などの「生活習慣病」というのは、それぞれの病気が別々に進行しているのではなくて、内臓に溜まった脂肪が多くある状態である内臓脂肪型肥満が大きく影響しています。 その内臓脂肪型肥満に加えて、高血糖、高血圧、脂質異常のどれか2つ以上が合わさった状態のことを、メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)といいます。 しかも、内臓脂肪が過剰にたまっていくと、糖尿病や高血圧症、高脂血症といった生活習慣病をも併発しやすくなるので大変危険な病気なのです。 そして、これらが動脈を硬くする「動脈硬化」の原因になってしまうのです。 日本人の三大死因は、がん、心疾患、脳血管疾患ですが、そのうちの心疾患と脳血管疾患は、動脈硬化が原因となる病気です。 したがって、激太りした沢田研二が今、一番注意しなくてはならないのは、これらの病気を予防することにあります。 以上、現在の沢田研二が太った原因についてみてきましたが、若い頃からの反動による食べ過ぎと、年齢とともに基礎代謝と一緒に低下してしまった身体活動量によって太ってしまったというのが大きなものと考えられます。 ですから、今後は、メタボリックシンドロームなどの病気を患う前に、何とかして対策を打って、いつまでもお元気に美声を響かせて頂きたいものです。 今回は以上になります。 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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