千と千尋 夢だ夢だ。 君と私の最終章【千と千尋の神隠し】

25歳になった千尋_夢見る温泉旅館「油屋」

千と千尋 夢だ夢だ

次のような仮説を立ててみます。 千尋は現実世界で何らかの実存的問題をかかえており、その問題解決のために、ある洞察を起こす必要があった。 千尋は夢を見るが、その夢のなかで、洞察が起こるために必要なイメージが与えられ、千尋は洞察を得ることができた。 この仮説は作品解釈のための大きな枠組みになります()。 千尋のかかえている実存的問題は、オープニングのシーンにはっきりと描かれています。 すなわち、引っ越しによって、千尋が築いてきた友人・地域とのつながりが失われようとしています。 千尋は、その喪失感から自暴自棄になり、ふてくされた態度をとります。 この異界でのできごとは、現実世界で千尋がおかれている状況を反映しています。 千尋は、今まで築いてきたつながりを失うことで、自分のアイデンティティを失いかけているのです。 この現実世界と夢の世界とのあいだの照応関係に気づくならば、千尋の異界での冒険が、自分のアイデンティティを回復するための冒険であったのだということが理解できるでしょう。 『千と千尋の神隠し』は、喪失から回復への物語です。 千尋のアイデンティティが、なにか千尋以外の者とのつながりによって成り立っているという点に留意すべきです。 これはこの作品を解釈するうえでの鍵になります。 謎と洞察 異界で千尋が最初に出会った人物がハクです。 なによ、あいつ ハクは千尋にとって奇妙な人物として登場しますが、ハクの正体は謎となり、その謎は次第に大きくなってゆきます。 「どうしてわたしの名を知ってるの?」 「ここにハクっていう人、二人いるの?」 「ヒントか何かもらえませんか、ハクとわたし、ずっと前に会ったことがあるみたいなんです」 洞察というはたらきの観点からすれば、作品は「ハクとは誰?」という問いによって貫かれているといえます。 この問いは、千尋のアイデンティティについての問い、すなわち「私は誰?」という質問と表裏の関係になっています。 「ハクは誰?」という質問に答えることで、千尋の「私は誰?」という質問にも答えることができます。 質問:私は誰? 答え:私は、小さい頃、こはく川でおぼれて流されて、命を助けてもらった千尋。 千尋のアイデンティティは、ハクとのつながりを理解(洞察)することで、回復されます。 異界での千尋の冒険は、すべてこの洞察を得るための冒険であったといえます。 謎となるイメージは、ハクとして、最初から千尋のまえに現れました。 ですが「ハクは誰?」という質問に答えるには、多くの冒険を経る必要があったのです。 この洞察を得るには、適切なイメージを得る必要がありました。 このイメージは千尋がハクの背中にまたがったときに、無意識の底から浮上してきます。 一回目は、湯婆婆の部屋の穴からハクと一緒に落ちるとき、断片的イメージとして浮上します。 二回目は、銭婆の家から湯屋へもどるとき、はっきりとした形で意識へと浮上します。 根源とのつながり 千尋の実存的問題は、転居によって、それまで築いてきたつながりが失われてしまうという問題、アイデンティティの喪失という問題であったのだという仮説を立てました。 では、ハクとのつながりを洞察することで、千尋の実存的問題は解決されたのでしょうか? 一見すると、千尋の実存的問題とハクとのつながりは、直接的には関連がないようにも思えます。 しかし、次のように考えると、千尋は夢を見たことで、自分の実存的問題に、より深い答えを見いだしたのだということがわかります。 つまり、人の最も深いアイデンティティは、その人の根源とのつながりによって成り立つのです。 転居によって失われるつながりとは何でしょうか? それは、今まで築き上げてきた友人や地域とのつながりです。 そのようなものの上に、千尋のアイデンティティが成り立っていました。 千尋のアイデンティティの根源は、転居によって、いとも簡単に崩れてしまうようなものであったのだといえます。 異界で、千尋はさらなる喪失を体験します。 両親が豚になってしまうからです。 両親は千尋にとって、失われようとしている友人や地域よりも深い根源であるといえます。 今までの友人や地域が存在しなくても、千尋は千尋として存在したでしょう。 が、両親がこの世に存在しなければ、千尋は存在しませんでした。 ですから両親はより深い意味での千尋の根源であるといえます。 存在論的により深い次元の根源であるのです。 夢のなかで両親は豚になってしまいます。 これは千尋の実存的問題をより先鋭化させる体験です。 友人や地域とのつながりを失うことでアイデンティティを失いかけていた千尋に、追い打ちをかけるようにして、両親まで失われてしまいます。 この夢の仕打ちは「両親よりもさらに深い根源をさがせ」という夢からのメッセージであるのだといえます。 千尋は異界での冒険をとおして、ハクとのつながりを回復しました。 では、ハクは両親よりも深い意味での根源であるといえるのでしょうか? 千尋は、両親から生まれたあとで、こはく川でおぼれたのです。 こはく川は、千尋の命を救ってくれたので、ある意味、千尋の存在の根源であるといえます。 でも、両親のほうが時間的に先であり、より深い根源であるのではないでしょうか? この問題には、次のように答えることができます。 たしかに千尋は両親が存在しなければ存在しませんでした。 が、その両親もまた、自然の世界、宇宙が存在しなければ存在しなかったのです。 このように考えれば、ハクが表すものは、千尋にとってより深い意味での根源であるのだといえます。 エコロジストとしての宮崎駿監督の思想や、「オクサレさま」のシーンなども、この答えの方向性を指し示していると思います。 この映画の主要なメッセージの一つは、わたしたちは大自然とのつながりを回復しなければならない、ということであるといって間違いないでしょう。 要するに、千尋の異界での旅は、より深い根源とのつながりをもとめ、回復するための旅であったのです。 夢から醒めた千尋が、新しい生活環境のなかで、どのような生き方をするかはわかりません。 が、けっして、映画のオープニングで描かれていたような、ふてくされた態度をとることはなくなるでしょう。 それは根源との深いつながりを回復したことによる安定感からくるのだと思います。 作品にひそむ含蓄的な問い さて、以上のような解釈で、すべての謎が解けたでしょうか? そうは思いません。 まだ謎が残っているように思います。 ストーリー上の謎は解けました。 が、作品世界、イメージ世界の内にふくまれる含蓄的な問いが残されていると思います。 たとえば、次のような問いが起こってもおかしくありません。 ハクは、千尋の命を救ってくれた、やさしい存在として描かれています。 が、大自然は、そのようなやさしさに満ちた存在であるといえるのでしょうか? むしろ、大自然は、おそろしい、人を呑み込んでしまうような相貌をも備えているのではないでしょうか? じっさい、グレートマザーとしての湯婆婆や、呑み込む者としてのカオナシは、大自然のもつもう一方の相貌を象徴しているように思います。 ハクのようなやさしさに満ちた存在が、この宇宙に本当に存在するのでしょうか? もしこの宇宙そのものが、そのようなやさしさに満ちた存在ではないのだとしても、千尋を温かく抱擁する銭婆のイメージは、心の奥底において、なにかこの宇宙、この被造世界を超える者の存在、私たちを温かく見守り、「愛」で抱擁する者の存在を暗示しているということができないでしょうか?() これは作品の内に含蓄される問いです。 これは宮崎監督が思いもしなかった問いかもしれません。 が、作品世界やイメージの世界は、原作者が予想だにしなかった問いを喚起します。 わたしたちは、千尋の旅を根源をもとめる旅であると解釈しましたが、千尋はほんとうの意味での根源にたどり着いたといえるのでしょうか? これは作品にひそむ究極的な問いであるといえるかもしれません。 () 読書:『インサイト』第19章(CWL3:657-708ページ)、『神学における方法』第4章(CWL:96-99ページ) 注1 暗い森、トンネル、突風、夕闇、あふれる水といったイメージは、この異界が夢の世界であることを暗示しているように思われます。 とりわけ「水によって無意識が表わされることは非常に多い」(河合隼雄『ユング心理学入門』岩波現代文庫、175頁)のです。 夢の理論については、コラム「」をご参照ください。 注2 銭婆の住む家の駅名は「沼の底」でした。 この名は、心の最奥部を暗示しているのではないでしょうか? 注3 このコラムでは千尋の洞察に焦点を当てて考察しましたが、この作品は千尋の心に棲む心象どもの物語でもあります。 物語の前半は、秩序のない、心象どものカーニバルの世界です。 後半は、千尋が洞察を起こしたことにより、心象世界に秩序が回復します。 ロナガンによると、洞察のはたらきは、人間の「精神」のはたらきに属します。 そして、ロナガンの弟子のドランによると、人間の「心」のはたらき(感情やイメージ)は、「精神」のはたらきに従い、それを支えなければなりません。 このような「精神」と「心」の関係から、この作品を解釈することもできるでしょう。 Robert Doran, Theology and the Dialectics of History. Toronto: University of Toronto Press, 1990. ロナガン著作集(CWL)• 『恩恵と自由』• 『言( Verbum)』• 『インサイト』• 『論文選』• 『理解と有』• 『キリストの存在論的・心理学的考察』• 『受肉した御言葉』• 『救済論』• 『教育をめぐって』• 『三位一体の神:教義』• 『三位一体の神:組織』• 『論文選2』• 『神学における方法』• 『マクロ経済力学』• 『論文選3』• 『現象学と論理学』• 『初期ラテン神学』• 『小論集』• 『新しい政治経済のために』• 『神学の方法をめぐる初期論考1』• 『同2』• 『同3』• 『文書資料』.

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千と千尋の神隠しについて質問です。なぜ、この世界食べ物を食べないと...

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アニメというと、どうしてもターゲットは子供と思われがちですが、 この話をちゃんと理解できた人ならば、実は「大人へのメッセージ」だということが分かります。 主人公の千尋は小学生ではあるけれども、その行動は「生きること」をイマイチ把握しきれない現代の大人と同じような気がします。 夢も生きる目的も希薄、仕事してないと存在価値を見出されない・・・ 名前を奪われて「役職名」でしか、その人を呼べない。 言われるままに働いてみるんだけど、何か心に引っ掛かる・・・ 「自分は自分を忘れていくんじゃないか?」って不安がいつも付きまとっている。 他のキャラクタも、同様です。 千尋の両親は、自己中心で欲望に忠実、モラルを失った大人。 カオナシは、人とのコミュニケーションがとれない引きこもりと、 (「顔がない」ってことは、意思疎通が困難ということ) 愛情を求めるが故に、相手の望まない行動をくり返してしまうストーカーのようなもの・・・。 こうして見てゆくと、「これは、子供と一緒に観た親のための話か?」と思います。 結局、千尋は湯屋を飛び出してもうひとりの魔女のところへ行きますが、そこらへんから彼女は失ったものを取りかえし始める。 ハクの名前を思い出した彼女は、楽しかった幼い頃の記憶を・・・ 自然と触れ合って遊んだ頃の自分の気持ちを、取り戻したんだと思います。 「自然の中で遊んだ世代」は、今はもう「大人」だと思いませんか? 千尋がハクに感じるものは、失ってしまったものへの愛着のような気がします。 だから彼女は涙を流すのです・・・。 ラストで彼女は豚にされた両親を見事見抜いて、 みんなに祝福されますが、あれは彼女が人間として 自信や感情や愛情を取り戻せたことに「バンザイ」なのです。 自分をわかっている人は、「元の世界」だって自分の足で 歩いてゆけるから、彼女は帰って来れたのだと思います。 ・・・もう、湯屋(仕事)に依存しなくてもやっていけるんです。 要するに、「人間再生の物語り」だったんじゃないかと思います。

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映画『千と千尋の神隠し』評価は?ネタバレ感想考察/ハクやカオナシの正体は?豚になった理由?

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スタジオジブリ制作、宮崎駿監督『千と千尋の神隠し』は、2001年公開のアニメ映画。 今が2018年だから17年前ですか…。 随分昔になってしまいました。 先日美術館でジブリの展示を見て宮崎作品が見たくなり十数年ぶりに視聴。 なんというか見やすいです。 最期まで気持ちよく見られる映画でした。 昔はあんまり好きじゃなかったんですけど、年月が経つと見方も変わるなぁと。 見終わった後清々しい気分になります。 時間も長すぎずいい感じ。 ストーリー構成がカッチリしていないのですが、それが逆に良くリラックスして見られます。 そして映像が素晴らしい。 独特の世界観に引き込まれます。 あらすじ 有名な作品なのでご存知の方も多いとは思いますが、軽くあらすじを。 『千と千尋の神隠し』は、異世界に迷い込んだ主人公の少女千尋が、魔法で豚にされた両親を助けるべく八百万の神が訪れる温泉旅館的な施設「油屋」で働く話です。 「油屋」の支配人がバカでかい頭をしている魔女の湯婆婆。 その息子と思われる巨体の赤ちゃん「坊」や、千尋を助けてくれる謎の美少年ハク、影の様な姿をした男カオナシが登場。 果たして千尋は無事人間界へ帰ることができるのでしょうか。 ざっとこんな感じ。 分かりにくいかな…。 本編を見れば一発です。 感想に入ります。 掴みどころのないストーリー ストーリーがふわっとしていて掴みどころがない感じです。 起承転結がはっきりしておらず、行き当たりばったりで話が進んでいく印象。 良く練られ筋の通ったシナリオを期待して見ると不満が残るでしょう。 逆にストーリー性のない日常系アニメばかり見てる人(筆者とか)はすんなり受け入れられると思います。 一貫性がなく個々のエピソードをつなぎ合わせたようなお話です。 不条理な終盤 終盤に盛り上がりがなく、よくわからないまま問題が解決して結末を迎えます。 千尋が湯屋を出て銭婆(湯婆婆の姉)の家を訪れる場面がありますが、ストーリーに関わる重大な出来事は起こりません。 ただ優しいおばあちゃんの所へ遊びに行ったようにしか見えなかったです。 終盤にこれを持ってきた意図がよく分かりません。 銭婆を訪ねた意味 「ハクがハンコを盗んだことを謝りに行く」という体になっていますが、銭婆は全然怒っておらずあっさり許してもらえます。 千尋のハクを助けたいという強い思いが描かれていますが、ハクは勝手に元気になって飛んできます。 千尋が出発する前、ハンコを吐き出した段階で呪いは解けていたのです。 謝りに行って呪いを解いてもらう必要はなかったという肩透かし感。 カオナシが銭婆の所で暮らすようになった(=居場所が見つかった)ことくらいしかストーリー上の意味はなさそうです。 意味はなくても楽しい 一方で海の中を走る電車、乗り込む影のような人々など映像的な楽しさは十分にありました。 すっかり大人しくなったカオナシがケーキを食べている姿は微笑ましいですし、ネズミになった坊とハエドリが糸車をくるくる回す場面は可愛らしくて好きです。 ストーリーじゃなくて映像、雰囲気を楽しむアニメなのかなと思いました。 急に思い出す 千尋は銭婆と別れ、龍の姿になったハクに乗って油屋へ戻ります。 その途中、千尋が「 唐突に」 湯婆婆に奪われたハクの本名を思い出します。 ハクは千尋が小さい頃に落ちた川の神様だったようですが、これと言ったきっかけもなくただ思い出すだけ。 理由やきっかけが絶対に必要だとは言いませんが、「ずいぶん急だな」という印象は拭えません。 確かに銭婆に「一度あったことは忘れない」みたいなことは言われていましたけども。 豚当てクイズ さらによく分からないのが次の場面。 千尋が油屋に戻ると豚が並んでいて、その中から豚にされた両親を当ててみろと言われます。 当たったら人間に戻してもらえ人間界へ帰れると。 ですが湯婆婆はなかなか卑怯なヤツ。 両親豚を連れてきていないのです。 しかし千尋は、 何 故 か この中に両親がいないことが分かります。 理由は不明で一切説明されません。 さも当たり前のように、悩みもせず、両親がここにはいないと言い当てます。 うーん、これは流石にモヤモヤします。 このシーンにはメッセージが込められていて、視聴者に考えさせるためあえて説明していないという解釈があるようですが……。 急に優しくなる 物語全体を通して言えることですが、キャラクターの心理面にも理解困難な部分があります。 初めは千尋に対して厳しい態度、冷たい態度を取っていたキャラクターが少し後のシーンではとても友好的になっているという謎。 千尋の活躍を見て見直した描写が入っていれば良いのですけど、さしたる理由もなく好意的になっている場合も。 監督のハヤオ氏から映画を見た少女への「思っているほど世界は怖くないんだよ」というメッセージなのでしょうか?(監督はこの映画を千尋と同じくらいの年齢の少女に向けて作ったらしい。 ) 意味不明さが逆に魅力 ストーリーには非論理的で理解困難な部分があるのですが、それが逆に魅力になっている不思議な作品。 掴みどころのないストーリーと不思議な世界観が上手くマッチしてます。 言うまでもないですが、視覚的イメージが圧倒的。 湯屋の建物などの風景や個性的な姿をした神々を見るだけでも十分に楽しめます。 夢っぽい ごちゃごちゃ書きましたが、一言で言うと夢っぽい映画です。 夜に見る「夢」の中の世界に似ています。 不条理なストーリーや理由の分からない行動なども夢っぽさにつながっていると思います。 雨が降ると辺りが一面の海になり、水の中を列車が走ります。 奇抜な外見をした神々、日本的なものと異国情緒がごちゃまぜになった風景など、絵的にも混沌としていて夢っぽいです。 頭で考えると意味不明ですが感覚的にはすっきり受け入れられるのがこの映画。 それは我々が体験している夢の中の世界に似ているからかもしれません。 なお、夢オチと言うつもりはないです。 夢っぽいだけで千尋の見た夢ではない。 人間界に戻っても銭婆に貰った髪留めが残っていましたし。 人間界への帰還 両親を人間に戻して元の世界へ帰るシーンの清々しい感じが良いですね。 悪夢から覚めた時の「夢でよかったー」というのに似た感覚が味わえます。 でもいざ戻ってみると車がホコリだらけ。 浦島太郎のように体感以上の時間が進んでいるようです。 この後どうなったんだろうなと気になる終わり方です。 数週間、もしかしたら何ヶ月も経っているのかも。 数日でホコリだらけになることは無いでしょうし。 人間界の者から見れば千尋一家は長い間行方不明ということになりますね。 タイトルの「神隠し」ってそういうことなのかな? 余談 ここまでの感想で書ききれなかったことを少々。 DVD版は色がおかしい 全編を通して絵が凄い赤みがかってます。 違和感がいっぱい。 PCモニターやスマホで目の負担を減らすため色温度を調節することがありますが、そんな処理をされた感じ。 好意的に捉えるとブルーライトがカットされていて目に優しい? 仕様と言い張ったものの海外版では赤くなかったらしく、問題になり裁判も起こされたみたいです。 ちなみに何年も経ってから出たブルーレイ版では修正されている模様。 出す前にチェックしなかったんですかねこれ…。 大手の作品なのに不思議です。 極端に赤いので見れば分かりそうなものですが。 ジブリのブルーレイの値段 は、深夜アニメに比べれば高くないものの一般の映画より少々高い気がします。 ブルーレイが主な収益源の深夜アニメと違い、劇場上映で元は取れてそうなので多少安くしても良い気がするんですけどね。 邦画アニメだから洋画の実写作品より高いということでもなさそう。 『』や『』はそこまで高くないです。 また『千と千尋の神隠し』の興行収入は国内歴代一位(2018年3月現在)。 莫大な利益が出ていると思われます。 公開から10年以上が経過しているにも関わらず強気な価格設定なのは、最近の作品が不振でスタジオジブリに余裕が無いということなのでしょうか? まあ、高くしても買う人がいるから高くするんでしょうけど。 通販サイトで割引率が低いことからも分かります。 でも『カリオストロの城』と『となりのトトロ』は欲しいなあ。

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