パガニーニによる大練習曲。 リスト パガニーニによる大練習曲「頭のなかの♪おたまじゃくし」〜クラシック音楽を聴いてみよう〜

第48巻:パガニーニ練習曲全稿

パガニーニによる大練習曲

『パガニーニの「ラ・カンパネラ」の主題による華麗なる大幻想曲』 [ ] Grande Fantaise de Bravoure sur "La Clochette" de Paganini, S. 420 『パガニーニの「鐘」によるブラヴーラ風大幻想曲』とも呼ばれる。 からにかけて作曲され、に出版された。 「ラ・カンパネッラ」を扱った最初の作品である。 のヴァイオリンの演奏を聴き、大きな衝撃を受けたリストが「僕はピアノのパガニーニになる!」と決意し、自らの技術を磨き上げて作り上げたと伝えられる。 詳しくはを参照。 テレビ番組の企画に出演したはこの曲について番組内で「即興から生まれているとしか言いようがなく、右手で弾いたらなんでも無いのに左手を交差するように指示していたり、音でも視覚でも魅せるように意識して、わざと難しくなるように楽譜に書き添えていて、(リストは)真のだったと思う」と語っている。 『パガニーニによる超絶技巧練習曲』第3番 変イ短調 [ ] Etudes d'Execution Transcendante d'apres Paganini, S. 140 に作曲された、全6曲からなるの第3番。 録音を行っているピアニストは、作曲から170年以上経っている現在においても僅か6名のみである。 この版ではパガニーニの第3楽章のロンドの主題も用いている。 詳しくはを参照。 『パガニーニの「ラ・カンパネラ」と「ヴェニスの謝肉祭」の主題による大幻想曲』 [ ] Grande Fantaise Variations sur des themes de Paganini - La Clochette et La Carnaval de Venise - First Version S. 700i に作曲された。 改作版の『パガニーニの主題による大幻想曲』S. どちらも演奏の機会は無いに等しい。 レスリー・ハワードのリスト全集にのみ収録されている。 『パガニーニによる大練習曲』第3番 嬰ト短調 [ ] Grandes Etudes de Paganini, S. 141 に作曲された、最も有名な版。 『パガニーニによる超絶技巧練習曲』を改訂した『』の第3曲にあたり、異名同音ので書かれている。 今日「ラ・カンパネッラ」として演奏されるほぼ全てがこの作品となる。 ラ・カンパネッラの左手の跳躍の例。 一気に約3オクターブも下がり、二音の鍵盤の距離は46cmに達する リストは曲全体の構成を洗練し、ピアノの高音による 鐘の音色を全面に押し出した。 全体として、器用さ、大きい跳躍における正確さ、弱い指の機敏さを鍛える練習曲として使うことができる。 最大で15度の跳躍があり、この跳躍を16分音符で演奏した後に演奏者に手を移動する時間を与える休止がないまま2オクターブ上で同じ音符が演奏される。 ほかにも薬指と小指のトリルなどの難しい技巧を含む。 A(嬰ト短調)-B()-A-B-A-B-A-コーダの簡単なで書かれている。 用いられる楽想はこれまでの「ラ・カンパネラ」やパガニーニの原曲と比較しても限定されているが、主題が登場する度に様々な装飾を加えることによって単調さを避けている。 冒頭 La Campanella, performed by Romuald Greiss, 2000• うまく聞けない場合は、をご覧ください。 関連項目 [ ] 《パガニーニの「ラ・カンパネラ」の主題による華麗なる大幻想曲》を演奏したピアニスト [ ]• テレビ番組内において一部のみ演奏 《パガニーニによる超絶技巧練習曲》第3番を演奏したピアニスト [ ]• Elisa Tomellini 《パガニーニによる大練習曲》第3番の演奏者として名高いピアニスト [ ] 日本以外 [ ] あ行• 日本 [ ] あ行• この曲をCMに使用 [ ]• この曲を劇中曲に使用 [ ]• アニメ(第3話 - 第5話、第10話、第12話) この曲をゲームに使用 [ ]• - アレンジを加えて「La Campanella Nu Rave」として収録。 フランツ・リストがコンポーサーとしてクレジットされている。 - アレンジを加えて「Thor's Hammer」として収録。 「ユニバーサル度胸兄弟」(とによる共作)のアレンジによる。 - アレンジを加えて「ラ・カンパネラ」として収録。 リストがコンポーザーとしてクレジットされている。 参考文献 [ ]• Leslie Howard: "The complete music for solo piano, Vol. 140, S. 141を収録 の(Leslie Howard, 1998)• Leslie Howard: "The complete music for solo piano, Vol. 55 — Grande Fantaisie" S. 420, S. 700を収録 の Leslie Howard, 1998 外部リンク [ ]• の楽譜 -。 として無料で入手可能。 の楽譜 -。 として無料で入手可能。 の楽譜 -。 として無料で入手可能。 - ピティナ・ピアノ曲事典• - by uploaded on 2006年08月26日• - by Evgeny Kissin uploaded on 2007年04月29日• - by Kemal Gekic, uploaded on 2007年06月23日• - by uploaded on 2011年09月20日• - by uploaded on 2008年09月22日.

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第48巻:パガニーニ練習曲全稿

パガニーニによる大練習曲

ショパン:サロンのピアニスト ショパンに続けてリストを取り上げるのですが、この二人はあらゆる意味で対照的な存在でした。 ショパンはサロンのピアニストでした。 「サロン」という言葉は最近では安直に使われるようになりましたが、もともとは宮廷や貴族の邸宅を舞台にした社交界の事を「サロン」と呼びました。 「サロン」において重要なことは本心を覆い隠し他者を友人として信じることがなくても、そこで和やかに交流し、時にはきわどい情報のやりとりや交渉が行えたことでした。 こんな書き方をすると、まるで「サロン」とはキツネかタヌキの巣窟のようなのですが、それだけでこの場を判断すると誤りを犯します。 確かに、お互いが己の真情を吐露し深く交流することは麗しいように思いますが、それは往々にしてとんでもない鬱陶しさを連れてきます。 そして、個人のナイーブな部分にまでも遠慮なく踏み込んでくるこの手の鬱陶しさは往々にして農村が持っている属性であり、ショパンが生まれ育ったポーランドもまたその様な属性を色濃く持っていました。 しかし、「サロン」とはその様な鬱陶しさを連れてくることなく人と人が交流できる場所であり、そう言うことが可能となるための完璧な約束事(エチケット)が確立された場だったのです。 「サロン」では約束事を守っている限りは己の本心を覆い隠す自由が保障され、そして、その様に本心を隠し続けたとしても誰からも非難されることがなかったのです。 ショパンは体重が50キロにも満たない小柄で虚弱な体質であり、陰気で内気な性格でしたから、人とうち解けて交流することが何よりも苦手でした。 つまり、ショパンはポーランドという田舎ではなくて、パリの「サロン」という「都市的な空間」においてこそ自由に呼吸が出来た人間だったのです。 もしも、この世に「サロン」という空間がなければ、おそらくショパンという人間がこの世に存在したとしても、ショパンという音楽家は生まれなかったことでしょう。 リスト:コンサートピアニスト それに対して、リストの本質は「コンサートピアニスト」でした。 彼は「サロン」のような狭い空間と限られた聴衆を相手に演奏するのではなく、広い演奏会場で多数の聴衆を相手に演奏したピアニストでした。 もちろん、リストもまた「サロン」の寵児であったのですが、彼の音楽はサロンのような狭い空間に相応しい繊細さとは真逆の位置にありました。 ロンドンの特派員はリストの演奏を「雹のようなトリル、稲妻のアルペジオ、雷鳴の和音」と報告しています。 広いコンサート会場に詰めかけた聴衆を圧倒するパワフルで華麗な響きにこそ、彼の真骨頂がありました。 そして、彼は何処にあっても王侯であるかのように振る舞った音楽家でもありました。 「サロン」における約束事は完璧に身につけながらも、必要があると見れば、そんなものには拘束されずに自由に振る舞いました。 彼はプロイセンの王からプレゼントされたダイアモンドを舞台の袖に放り投げたこともあれば、演奏中におしゃべりを始めたロシア皇帝に対して「陛下がお話になっているときは音楽も沈黙すべきです(黙って静かに聞け・・・と言う意味です)」と言う人物だったのです。 ピアノ奏法の違い このような気質の違いは、二人のピアノの奏法にもはっきりと表れています。 残されたメモによると、ショパンは彼に先行するピアニストのように手首だけで演奏することは間違いだと述べています。 そうではなくて、指使いが基本的に重要なことを指摘しながらも、手首、手、指に加えて前腕と上腕を使わねばならないと述べています。 その意味では、ショパンこそは近代的なピアニストの先駆けだと言えます。 しかし、実際に彼の演奏を聴いた人々の証言によると、ショパンは上体をほとんど動かさずほとんど指先の動きだけで演奏していたと伝えられています。 その報告は結核によって体力が極度に落ちた時期のものだったので多少は割り引く必要はあるのでしょうが、それでも多くの証言を総合してみても、彼の演奏は同時代のピアニストと較べてみても極度に動きの少ない抑制されたものであったことは間違いないようです。 今の感覚で言えば音楽全体をピアノ(弱音)で演奏するような雰囲気で、そう言えばショパン自身も若い頃から「僕の音は小さすぎると文句を言われる」と嘆いています。 それに対して、リストはショパンが述べたような近代的なピアノ演奏を体現しただけでなく、そこにパガニーニ譲りのショーマンシップを加味させました。 彼のトレードマークは、腕を高々と持ち上げてピアノに叩きつけることでした。 この時代における最も善良で最も知性的なピアニストであったモシェレスは、リストの演奏を「力強さと困難な技の熟練において、私がこれまで聞いた全てのものをしのぐ」と述べ、さらに「あのように手を放り上げながらどうして危険な跳躍を失敗せずにやってのけることが出来るのか理解できない」と述べていました。 リストはコンサート会場には常に3台のピアノを用意させ、そのうちの1台から2台のピアノの弦をはじけ飛ばせるのが常でした。 リストは始めの頃は「エラール」を愛用し、後には「ベーゼンドルファー」を使うようになります。 何故ならば、「ベーゼンドルファー」こそは、始めてリストに破壊されずに最後まで持ちこたえたピアノだったからです。 しかし、ショパンはその様な強靱なピアノではなくて、作りははるかに華奢ではあっても繊細な響きを持っていた「プレイエル」を最後まで愛用していました。 リストが学んだショパンの繊細 ここで一つ注意しておく必要があるのは、この時代のピアニストは基本的には自作の音楽を演奏したと言うことです。 もちろん、バッハやモーツァルト、そしてベートーベンのような古典を演奏することもあったのですが、プログラムのメインは自作でした。 ショパンやリストもまた、基本的には自分が演奏するために作曲したピアニストでした。 しかし、そう考えると、この時代の作曲家で、自作のピアノ曲でコンサートのプログラムが組めるような人はほとんどいないことに気づきます。 ショパン、リスト、シューマンと指を折ってきて、かろうじてこれに続くのはメンデルスゾーンくらいでしょうか。 クレメンティやフンメルの名を上げることが出来る人はピアノの学習者か、よほどの「通」だけでしょう。 当然のことながら、この時代にピアニストが数人しかいなかったわけはないので、この事は、後世に残るような音楽を書いたピアニストはほとんどいなかったことを示しているのです。 このあたりの事情をもっと詳しく知りたい方のために、絶好の書物があります。 500ページを超える大著ですが、その大部分は録音が残されていない古い時代のピアニストの記述に費やされています。 ピアノ誕生から記述は始まって、バッハ、モーツァルト、ベートーベン、ショパン、リストというビッグネームだけでなく、その谷間を埋める数多くのピアニスト兼作曲家にもページが費やされています。 一例を挙げれば、モーツァルトの好敵手だったクレメンティ、ベートーベンと同時代のドゥシーク、クラマー、トマシェク、ヴェルフル、そしてそれに続くロマン派への架け橋としてフンメル、フィールド、カルクブレンナー、チェルニー、モシェレスなどなど・・・です。 その様なピアノ音楽の創作と演奏の流れを概観したときに、この流れの頂点に立つ存在がリストだった事に改めて気づかされます。 ついでながら、ショパンという音楽家がこの流れの何処にも源流を見いだせない突然変異のような存在であったことにも気づかされます。 そう言えば、ショパンはリストの力強さを憧れ、妬みながらも、その音楽は決して認めようとはしませんでした。 彼が認めたのはバッハとモーツァルトだけで、その他の音楽家にはきわめて冷淡でした。 数少ない友人の証言によると、ベルリオーズのスコアは大嫌いで、リストの音楽は味わいに欠け、シューマンは音楽とは言えず、メンデルスゾーンに至っては眼中にすらなかったのです。 しかし、リストはショパンよりははるかに寛容でした。 ポーランドから出てきたこの青白い青年とすぐに交流を始め、その青年の音楽の中には自分にはない繊細さが溢れていることにすぐに気づきました。 そして、彼は音楽に名人芸が不可欠なことは当然としても、それだけでは不十分なことをすぐに悟り、自らの音楽の中にもショパン的な繊細さを導入していくようになります。 このあたりがリストの偉いところで、もしもショパンとの交流がなく、ただの名人芸だけのピアニストで終わっていたら、ショーンバーグの書物で紹介されて始めて知る事になる「凡百のピアニストの第1人者」で終わっていたかもしれません。 時代を経るにつれてショパンへの評価は上がり、それと反比例するかのようにリストに対する評価は下がり続けました。 しかし、リストの音楽は決して名人芸のひけらかしだけではありません。 明らかに彼はショパンから「繊細」なるものを学び取り、それを自らの作品に取り入れています。 それは、「詩的で宗教的な調べ」や「コンソレーション(慰め)」を待つまでもなく、とんでもない名人芸を披露した若い時代の作品からも感じ取れます。 パガニーニによる大練習曲より「ラ・カンパネッラ」 P タマシュ・ヴァシャーリ 1958年録音 今から半世紀前のリスト弾きと言えばシフラかヴァシャーリくらいでした。 この二人を聞き比べてみると、リストという人間の持っている悪どいほどのパワー感を感じさせてくれるのはシフラの方です。 リスト以来、ピアノというものが抱え込んでしまったサーカス芸を堪能させてくれるのは明らかにシフラの方です。 それと比べると、ヴァシャーリの演奏は大見得を切ることもなく、穏やかで端正な音楽に仕上がっています。 そこには、聞くものを熱狂させてくれるようなサーカス芸は希薄です。 おそらく、パッと聞いた感じでは、大部分の人がシフラに軍配を上げるでしょう。 それほどに、言葉を代えてみれば個性に乏しい無難な演奏の範疇に留まっています。 ただし、繰り返し聞かれることを宿命づけられた「レコード」の場合は、そう言う「棘」のなさが決してマイナスにならいのも事実です。 リストの音楽と初めて出会う人に対して、安心して勧めることのできる演奏ではあります。 また、ヴァシャーリはリストの魅力が十分に楽しめるようなアルバムも作っていますので、そちらも併せて紹介しておきます。 これ一枚で、リストの魅力と出会うことができる優れた一枚です。 ユングさんは、私と比べるまでも無く、いろいろと詳しいですね。 実際、文学系は全くダメな人間なので、その差が付くのも当然です。 リストについては、ちょっと最近、軽んじられている気はとてもしますが、ピアノという、クラシック音楽で、最も重要な楽器について言えば、リストの偉大さは、絶対はずせないと思います。 当然、聴くべき音楽に入るべきものです。 小学生の頃は、ピアノを習わされていて、当時クラシック音楽に興味の無かった私は、しぶしぶ、仕方なくやっていました。 しかし、先輩のお姉さん達の弾くリストには、本当に感銘したのを覚えています。 クラシック音楽って凄い!!!とは、当時から感じていました。 流石にユングさんは、ちゃんと拾っていて、吉田秀和なんか、仕方なく、300選に入れていると言った感じでしたし、サンサーンスはコケにするし、コルサコフも、全く評価していませんでした。 吉田秀和と言えど、完璧では、無かったと思います。 文化勲章は、さすがに嬉しかったようでしたが、それまでは、孤独な奮闘であったと、どこかで漏らしていました。 ユングさんは、とんでもないと言うでしょうけれど、吉田秀和は、シューマンで、ユングさんは、ショパンと言う所です。 私の独断で申し訳ないのですが・・・。

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リスト パガニーニによる大練習曲「頭のなかの♪おたまじゃくし」〜クラシック音楽を聴いてみよう〜

パガニーニによる大練習曲

その技巧のあまりのすさまじさのために「悪魔に魂を売った」と言われたヴァイオリンのヴィルトゥオーゾ、パガニーニ(1782-1840)。 リストがその演奏を初めて聴いたのは、1832年、21歳の時であった。 そのとき、感激のあまり、自分は「ピアノのパガニーニになる!」と叫んだというのは、有名な逸話である。 この衝撃的な出会いは、ピアノ史上に革新的な作品を生み出すことになった。 まず、リストは、パガニーニのヴァイオリン協奏曲第2番の終楽章を基に、《「鐘」によるブラヴーラ風大幻想曲》(S.420)を作曲した。 これは、のちの 、そして《パガニーニによる大練習曲》(S.141)の第3曲『ラ・カンパネッラ』の原形となった曲である。 そして、1838~1839年にかけて作曲された《パガニーニによる超絶技巧練習曲集》において、リストのパガニーニ研究の成果は一応の完成をみる。 しかし、ここで納得するようなリストではなく、1851年に大幅に手を加え、《パガニーニによる大練習曲》と名付けて改訂版を出版した。 リストはパガニーニの楽譜を、ただピアノ用に編曲したわけではない。 上述の宣言どおり、パガニーニがヴァイオリンという楽器で実現した高度なテクニックを、ピアノ独自の語法によって表現しようと試みている。 そこから新しい語法や技巧が編み出されることとなり、結果として非常に革新的で、類い稀な難易度の高さを誇る作品が生み出されることとなったのである。 さらに、《パガニーニによる大練習曲》への改訂においては、簡潔なテクニックによる表現の洗練が目指された。 この改訂により、各曲は「練習曲」から「キャラクター・ピース(性格小品)」へと、その装いを変化させている。 第1曲『トレモロ』(ト短調)は、パガニーニの《24のカプリース》第5番を原曲とする序奏と終結部、同じく《24のカプリース》の第6番を原曲とする主部からなる。 第2曲『オクターヴ』(変ホ長調)は、《24のカプリース》第17番による。 いわゆる「リストの半音階」と呼ばれる、左右交互の手で取り分ける半音階が見られる。 この曲集中もっとも有名な第3曲『ラ・カンパネッラ』(嬰ト短調)は、パガニーニのヴァイオリン協奏曲第2番ロ短調の第3楽章を原曲とする。 この第3曲に関しては、《大練習曲》の初版である《パガニーニによる超絶技巧練習曲集》の第3曲とは大きな違いがある。 初版ではパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調からの素材が目立つのに対し、《大練習曲》では、第1番の素材はまったく見られない。 また、調号が初版の変イ短調から嬰ト短調に変化している。 初版に比べ、《大練習曲》のほうが高音域を駆使し、同音反復を効果的に使用したよりきらびやかな音楽になっているのも注目すべきところである。 第4曲『アルペッジョ』(ホ長調)の原曲は、《24のカプリース》第1番。 この曲も、初版と改訂版が大幅に違っている。 改訂版の楽譜は、ヴァイオリンと同じく1段譜になっており、初版に比べると、パガニーニの原曲に非常に忠実な編曲となっている。 第5曲『狩り』(ホ長調)は、《24のカプリース》第9番を原曲とする。 初版に比べると、やはり《大練習曲》のほうが軽快な音楽となっている。 曲の中間部には、ピアノ史上比較的珍しい重音のグリッサンドが見られる。 第6曲『主題と変奏』(イ短調)は、パガニーニ《24のカプリース》の中でも最も有名な第24番を原曲とする作品。 リストのほかにも、この主題を基に、 、 、 、 など、多くの作曲家が変奏曲を書いている。 原曲は11の変奏と終結部からなるが、リストもこの構成を踏襲しており、この第6曲は11の変奏とコーダからなっている。

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