高須光聖 子供。 あまりかん。―尼崎青春物語

構成作家・高須光聖が語るテレビに対するジレンマ

高須光聖 子供

お笑い・バラエティ番組の超売れっ子放送作家が書き下ろす めちゃ笑えて、ちょっぴり切ないBad Boyたちの青春グラフィティ! 時間がゆっくり流れていた少年時代...... 性にめざめ、大人への階段を駆け足で 上った思春期...... 笑いの偏差値が高い者がヒーローになった日本一おかし な学校で過ごした日々...... 貧しかったけれど、ボクのそばにはいつも友がい た。 幼なじみで小・中学校を共にした少年時代の松本人志と浜田雅功 ダウンタウ ン も実名で登場! ダウンタウンとボクの"笑い"の原点と原風景がここにある! 本書は文芸の世界に「笑い」と「涙」のキツーい一発を叩き込み、風穴を開ける 鮮烈のデビュー作! 話題必至、大型エンタテイナー堂々の登場です。 だが生と死が露出し、笑いと涙に リアリティがあった。 この作品はわたしたちを解放する。 泣ける! 28 歳より仕事の拠点を東京に移し、「ガキの使いやあらへんで!! 」をはじめ、ダウ ンタウンのほぼ全てのレギュラー番組を手がけるだけでなく「めちゃイケ」「ロ ンドン・ハーツ」などバラエティを中心に現在16本のレギュラー番組を担当。 そ の他、映画・ドラマの脚本、舞台劇の構成演出、作詞、ラジオのパーソナリティ など多方面にわたる活動を展開中。 HEY! HEY! TBS系 内容(「BOOK」データベースより).

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あまりかん。―尼崎青春物語

高須光聖 子供

2019年9月16日放送のニッポン放送系のラジオ番組『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』 毎週月-金 11:30-13:00 にて、放送作家・高須光聖が、ダウンタウン・松本人志の『ワイドナショー』での発言に「こんなこと言うかな?」と思うほど丸くなったと感じていると告白していた。 高田文夫:今は本当にダウンタウンは丸くなっちゃったね。 高須光聖:物凄い丸いですよ。 松本明子:丸い 笑 高須光聖:ワイドナショーで、「こんなこと言うかな?」ってくらい 笑 高田文夫:そう、そう。 高須光聖:変わりましたねぇ。 高田文夫:やっぱり子供だな。 高須光聖:そうですね。 高田文夫:君のところもそうだけど。 高須光聖:僕もそうですけど 笑 高田文夫:だろ?そう思うだろ、やっぱり。 高須光聖:大分、変わりましたね 笑 高田文夫:「じゃあ、ちゃんと仕事しよう」とか思うだろ、やっぱり子供がお家にいると 笑 高須光聖:そうです 笑 「ちゃんとしたNHKやらな」って思うんですよ 笑 高田文夫:大きくなるまで働いておこう、みたいな。 高須光聖:思いますね。 思います、思います。 高田文夫:うん。 それは分かるわ。

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高須光聖の経歴は?妻は女子アナ?馴れ初めは?ウルフルズのトータス松本とも交友あり?【ダウンタウンの放送作家】|【ネタなる】話題のあれこれ、ネタになることまとめブログ

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5年後10年後を語るより目の前の仕事に夢中になれ 小中学校時代のイベントで、すでに「松本(人志)と共に出し物を考え、台本をつくっていた」という高須光聖さん。 大学卒業後に就いた仕事を不測の事態で失ったとき、その松本さんに声をかけられ放送作家になった。 だが子供時代そのままに、すんなりと、とはいかなかったようだ。 「めちゃくちゃ大変でしたよ。 出しても出しても企画は全く通らず、会議も全然面白くない。 3〜4カ月して『辞めようかな』と松本に言ったら、『大丈夫。 俺が保証する。 絶対にやり続けた方がいい』と。 それがあるときに、企画が一つ通って。 今思えば、当初は会議にいる人を笑わせたいだけで、全く実現不可能なものばかり考えてて、それは放送作家が考えるネタとは違うんですよ。 そういうルールが、アホやから全くわかってなかったんですよね」 企画が通ったとき、なぜそれが通ったのか、何が受けるのかを考えるようになり、次第に感覚をつかんでいった。 2年で関西では売れっ子の放送作家になり、『ガキの使いやあらへんで!』『夢で逢えたら』の開始で大阪と東京を行き来するように。 だが東京では大阪の濃い笑いがなかなか理解してもらえず、またしても企画が通らない。 それでも覚悟を決めて大阪の部屋を引き払い、東京に来たのが28歳のとき。 「あのとき退路を断って挑んだから、今東京でやれているんだと思う」と振り返る。 「借景」で新たな世界が開けた「ものづくり」 意識してテレビ以外のことをやりだしたのは、30代半ばのことだ。 「レギュラーが20本を超え、仕事が増えると年齢的に失敗もしにくい。 先方から求められることもあり、自分の得意パターンの企画を使いたくなってくるんです。 でもそうすると挑戦ができないから、新しい発見もないし手球も減ってくる。 それでネット界隈の人や仕事と関わりを持ち始めたんです。 そこにあった、テレビの連中とは異なる発想や新しい情報が、すごく楽しくて。 自分の興味が多様化して、もちろんテレビへのフィードバックにもなったし、テレビ以外でも面白いことやれるぞという気持ちにもなりました」 それまで生きてきたテレビの世界では「番組を担わなあかん、でもみんなが自分に乗っかってくるのはしんどい」と煮詰まった時期を経て、捨てたのはこだわりだ。 自分がいなくても回っていく、面白いと思えるものだけやればいいと思うことで、楽になったという。 「これまでは自分の発想からゼロイチで物をつくってきましたが、『借景』みたいなものが面白いなと。 例えば今年の秋に行う予定のイベント『花火』では、出雲大社の『御神火』を使うことで、これまでの花火とは違う神秘的な世界観がつくれる。 最近思うのは、放送作家はテレビをやる専門職とか、そこまで堅苦しく考えなくてもいいじゃないかと。 若い頃は『テレビで頑張りたい』と思っていたけど、自分がしたいことを別のものと掛け算しながら遊んでいく方がいいなと。 肩書とか媒体とかこだわらず軽やかに柔軟でいる方が、今の時代の在り方に合ってると思うんですよね」 面白く働くために大事な生の体験、生の感情 だがそうした在り方も、「面白い」と思える豊かな感性があってこそのものだ。 大事なのは生の体験で、生の感情を味わうことだと、高須さんは言う。 「人の心を動かすのは、例えば音楽で言えば、ライブで感じるピンとした空気とか、音の迫力とか、観客の熱気とか、そういうものだと思うんです。 人間同士の付き合いでも同じで、『疲れるから』と相手の嫌な面を避けていては、味わえない感情がある。 僕は昭和の上方の喜劇役者、さんが、死ぬ前に娘の直美さんに言った言葉が大好きなんです。 『この先お前が生きてくと、殺したいヤツが3人は現れる。 でもそいつがお前を育てるんだから』というものなんですが、これって真理だと思う。 仕事をクリエイティブに楽しむには、そういうものがすごく重要な気がします」.

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