石原裕次郎 若い頃。 津川雅彦の若い頃画像がイケメン!石原裕次郎の弟役でデビュー

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石原裕次郎 若い頃

石原裕次郎と松田聖子は過去愛人関係だった まずは2人のプロフィールを見ていこうと思います。 ・松田聖子 生年月日:1962年3月10日(今年57歳)19年1月現 出身地 :福岡県 出身校 :堀越学園 職業 :歌手 女優 松田聖子は今年で57歳になるのですが こんなに美しく綺麗な57歳は他に いらっしゃいますでしょうか・・・? テレビで出演されているのを見たときに いつも惚れ惚れしてしまいます。 現在ではお子様でもある神田沙也加も 芸能活動をしていて活躍されています。 出身校は芸能人を今でも多く排出している 堀越学園です。 今現在でもこんなにもお美しいので、当時は 相当モテていたことでしょう。 ・石原裕次郎 生年月日:1934年12月28日 没年 :1987年7月17日 故(52歳) 出身地 :兵庫県 職業 :俳優、歌手、モデル、実業家 石原裕次郎は昭和時代を代表する俳優、歌手であり 司会者や実業家としても知られていました。 残念なことに1987年に52歳という若さで この世を去っています。 もし現在も生きていらっしゃったら、超大物俳優 として大活躍されていたことでしょう。 実の兄にあの東京都知事として長年活躍された 石原慎太郎氏が見えます。 そんな大物2人に愛人関係だったのでは ないかと当時は噂されたようです。 噂を引き立てる証拠として、石原裕次郎と 松田聖子が当時の歌番組で共演された際に デュエットをするシーンがあったそうなのですが 肩を抱き合うようなデュエットをしたのです。 しかもその時に松田聖子と石原裕次郎が 見つめ合って松田聖子が涙を流すシーンも ありました。 本当に何もない関係であれば、ラブラブした デュエットにはなりませんし、ましてや涙を 流すことはありませんよね。 この涙の真相は分かりませんが、考え深い ものがあります。 松田聖子に関しては、郷ひろみをはじめとする 多くの方々とお付き合いをされていましたが 特に隠そうともせずに堂々としていましたね。 良くも悪くも、松田聖子という人間は こういう人間なんだってことがわかるような 気がします。 愛人関係だった事実はありませんが、なんらかの 関係性が合ったのは事実ではないでしょうか? 石原裕次郎が松田聖子を振った先が神田正輝の闇 当時、石原裕次郎と神田正輝は同じ石原プロの社長と 若手俳優という立場で、とても仲が良く、松田聖子と 神田正輝が結婚を決めた時も結婚式の仲介人を務めるなど 大いに祝福していました。 そんな仲で知られている、神田正輝と松田聖子の間に 生まれた子供である神田沙也加が石原裕次郎との 隠し子の可能性があると噂があったそうです。 火のないことろに煙は立たないと言われますが 今回ばかりはその可能性は低いようです。 誰がこの噂を引き立てたのかわ不明ですが お子さんである神田沙也加を見ていただければ 分かるように、神田正輝が同じ年代だった頃に そっくりですよね。 神田正輝の母親の旭輝子にもそっくりです。 最近では神田沙也加本人も 「私は父に似ているって言われる方が多いです」 と認めているくらいです。 石原裕次郎にはどこも似ていません。 今回は石原裕次郎と松田聖子が愛人関係だった 噂から出てきた噂でしたが、 あまりにも不確定要素が多すぎますし、松田聖子と 神田正輝の間に生まれた子供で間違いないようです。 ただ元々石原裕次郎との愛人関係から、松田聖子が 当時熱愛関係にあり、破局会見までして世間を賑わせた 郷ひろみとの関係を清算したとき、自分との愛人関係も清算 させて、 自らの若手俳優神田正輝に聖子を振った~などの 恐ろしい噂はあったようです。 翌々考えてみたらあの 郷ひろみとの涙の破局会見から 僅か 1ヶ月後という期間で 神田正輝との結婚発表をした 松田聖子。 めちゃ切り替え早すぎます・・・ 見た目は華憐そのものの可愛らしい女性ですが、よく 当時ライバル関係だった中森明菜と比較して、やや不良 キャラだった 明菜はガラスのハート。 松田聖子は遊び人の男そのもの、とその恋愛模様や異性関係に ついて揶揄されるような噂があったのは確かです。 見た目で人は分からないという事なのでしょうが 大方その後の対照的な二人の人生や男性遍歴を考えると 全くのガセでもないのかな~と思ってしまいます。 Sponsored Link 石原裕次郎が梅毒だった噂の真相 石原裕次郎は人気絶頂期に惜しまれながら この世を去っています。 昭和の最後の大スターでもあった石原裕次郎。 彼は男女関係なく幅広いファンの方々から 愛されていていたことで有名でしたし、その 影響もあってか多くのファンが悲しみにくれました。 今もなお昭和の大スターとして語り継がれていますが そのスケールのデカさは夜遊びでも例外ではありません でした。 芸能界でも夜遊びしている噂が絶えなかった わけですが、遊びが過ぎて 梅毒になっていたと 噂が流れたそうです。 梅毒は感染症であり、性病の代表するものと 言っても過言ではありません。 石原裕次郎に子供がいなかったのは、梅毒を 患っていたために子供を作りたくても作れ なかったという声も上がって来るほどでした。 この噂が大きくなるにつれて、死因は梅毒とまで 言われるようになりました。 真相は死因は 肝臓癌であり、梅毒であったのかは 不明ですし、恐らく時代背景的に、薬が無い時代 ではないのでそれは無いとは思いますが・・・ 尋常ではない量のアルコールを若い頃からスターだった 石原裕次郎は飲酒の量が半端ではなかったと言われ それが際して肝臓癌となったのでは~とも言われています。 梅毒は、夜遊びのオマケのような噂だと思います。 いくらなんでも、当時の医療で梅毒で死ぬ人は そうそう居ないかな~と現実的に・・・ そんな噂が浮上するほど当時の遊びが凄まじかった と言う事ではないでしょうか・・・ 昭和の大スターということもあり女性芸能人との 噂が絶えなかったので、何かしらの感染症に なっていてもおかしくはありませんが・・・ 晩年はとてもそんなお元気はなかったのでは~と 勝手に言われ過ぎだろ~と突っ込みたくなる気分です。 笑 Sponsored Link 関連記事 おわりに 今回は松田聖子と石原裕次郎について触れていきました。 お互い芸能界で相当遊んでいた部類に入っていますので、多くのスキャンダルがあってもおかしくはないですね。 良い意味でも悪い意味でも松田聖子の奔放な人格が解ったのではないでしょうか? 何歳になっても恋をすることはすごいことですし、もしかしたらそれが若く見えている秘訣なのかもしれませんよね。 石原裕次郎さんは今は亡き人ですが、恐らくは関係者であるかもしれない松田聖子はまだまだ現役バリバリです。 今後の活躍と彼女の美魔女ぶりにも同性として目がはなせませんね。

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石原裕次郎と松田聖子の関係が闇過ぎる!梅毒はヤリまくりの大きなツケ

石原裕次郎 若い頃

来歴・人物 [ ] 卒業後、NDT()に5期生として入団。 に退団後、のニューフェイスに合格に入社。 『』で本格的なデビューを果たす。 に、活動を再開したに引き抜かれる形で移籍。 女優陣のエースとして活躍する。 『』で後に結婚すると初共演後、日活のとして23作もの共演作が製作された。 1960年に裕次郎とし、女優業を引退した。 引退後は、賢夫人として内助の功に徹し、石原プロの経営に関わっている。 夫の死後、1988年に『』を出版した。 、石原プロモーションはと業務提携契約を締結。 それに伴い、同社代表取締役会長の石原まき子がチャンネル銀河株式会社名誉会長に、また、チャンネル銀河株式会社代表取締役社長の関本好則が石原プロモーション会長特命コンテンツアドバイザーに就任した。 主な出演作 [ ] 映画 [ ]• (1952年、) -• (1952年、松竹) - 細井レイ子• 流れの旅路(1952年、松竹) - 孫娘おしげ• 第二部(1953年、松竹) - の娘 ユミ• 東京マダムと大阪夫人(1953年、松竹) - 星島百々子• 新東京行進曲(1953年、松竹) - 桶昭子• 家族あわせ(1953年、松竹) - 千鶴子• 大学の龍虎(1953年、松竹) - 娘京子• 初恋おぼこ娘(1953年、松竹) - 春江• シミ抜き人生(1953年、松竹) - 竹村きく子• 旅路(1953年、松竹) - 初子• 求婚三人娘(1954年2月、松竹) - 滝井万里子• 若き日の誘惑(1954年2月、松竹) - 祝水幸子• 腰抜け狂騒曲(1954年5月、松竹) - 景子• 青春ロマンスシート 青草に坐す(1954年6月、松竹) - 芳賀弘子• 若旦那と踊子(1954年8月、松竹) - 踊子江美• えくぼ人生(1954年9月、松竹) - 藤村マチ子• 女人の館(1954年11月、) - 主演・丹野万津子• 月は上りぬ(1955年、日活) - 三女・浅井節子• 次郎長外伝 秋葉の火祭り(1955年、日活) - お美代• 生きとし生けるもの(1955年、日活) - 八代恵美• 愛のお荷物(1955年、日活) - 五代冴子• 銀座の女(1955年、日活) - ブンちゃん• (1955年、日活) - 主演・奥村千春• 次郎長遊侠伝 天城鴉(1955年、日活) - おせん、お美代(二役)• 緑はるかに(1955年、日活) - 踊る人(特別出演)• うちのおばあちゃん(1955年、日活) - 岡本正子、岡本槇子(二役)• おしゅん捕物帖 謎の尼御殿(1955年、日活) - 琴姫、縫之助(二役)• 銀座二十四帖(1955年、日活) - 仲町雪乃• 自分の穴の中で(1955年、日活) - 志賀多美子• 幼きものは訴える(1955年、日活) - 修道女(特別出演)• 裏町のお転婆娘(1956年、日活) - (特別出演)• 朝やけ血戦場(1956年、日活) - 魚住お次• 風船(1956年、日活) - 三木原ミキ子• 色ざんげ(1956年、日活) - 西条つゆ子• ドラムと恋と夢(1956年、日活) - 眼医者(特別出演)• 火の鳥(1956年、日活) - (特別出演)• 流離の岸(1956年、日活) - 主演・寺岡千穂• (1956年、日活) - 恵梨• 逆光線(1956年、日活) - 主演・芳田玲子• (1956年1、日活) - 主演・浅井陵子• 感傷夫人(1956年、日活) - 立松正子• 若の花物語 土俵の鬼(1956年、日活) - 勝治の妻・香代子• お転婆三人姉妹 踊る太陽(1957年、日活) - (特別出演)• 危険な関係(1957年、日活) - 山代三枝• 勝利者(1957年、日活) - 白木マリ• 今日のいのち(1957年、日活) - 主演・南方理子• 俺は待ってるぜ(1957年、日活) - 早枝子• (1957年、日活) - 福島美弥子• (1958年、日活) - 西田啓子• (1958年、日活) - 倉本たか子• 明日は明日の風が吹く(1958年、日活) - 江島啓子• 素晴しき男性(1958年、日活) - 旗陽子• 風速40米(1958年、日活) - 滝今日子• (1958年、日活) - 杉田圭子• 嵐の中を突っ走れ(1958年、日活) - 上月節子• (1959年、日活) - 北岡みさ子• (1959年、日活) - 矢代ユミ子• 男が爆発する(1959年、日活) - 宇津蕗子• 山と谷と雲(1959年、日活) - 有馬寿々子• 風のある道(1959年、日活) - 主演・竹島恵子• 清水の暴れん坊(1959年、日活) - 児島美紀• 天と地を駈ける男(1959年、日活) - 尾関慧子• 鉄火場の風(1960年、日活) - 相良那美• 白銀城の対決(1960年、日活) - 三谷佳子• 青年の樹(1960年、日活) - 山形香世• 天下を取る(1960年、日活) - 尾山沢子• やくざ先生(1960年、日活) - 三浦道子• (1960年、日活) - 佐倉冴子 テレビドラマ [ ]• (1964年) ドキュメンタリー [ ]• 石原裕次郎生誕80年記念番組 まき子夫人わが心の裕さん〜裕次郎こころの居場所〜(2014年3月7日、BS-TBS) 著書 [ ]• 『死をみるとき 裕さんが書き遺したもの』(2013年、青志社) 演じた俳優 [ ]• 『』(2004年11月17日 - 11月21日放送)での配役• (23歳 - 39歳)• (45歳 - 57歳)• 『』(2017年6月17日放送)での配役• 出典 [ ]• 2019年7月17日閲覧。 チャンネル銀河「銀河ニュース」 2015年6月22日. 2015年6月24日閲覧。 2020年3月10日閲覧。 2020年3月10日閲覧。 2020年3月11日閲覧。 2020年3月12日閲覧。 2020年3月12日閲覧。 2020年3月13日閲覧。 2020年3月13日閲覧。 2020年3月13日閲覧。 2020年3月14日閲覧。 2020年3月14日閲覧。 2020年3月13日閲覧。 2020年3月13日閲覧。 2020年3月13日閲覧。 2020年3月13日閲覧。 日活公式サイト. 2020年3月13日閲覧。 日活公式サイト. 2020年3月14日閲覧。 日活公式サイト. 2020年3月14日閲覧。 日活公式サイト. 2020年3月14日閲覧。 2020年3月13日閲覧。 日活公式サイト. 2020年3月14日閲覧。 日活公式サイト. 2020年3月15日閲覧。 日活公式サイト. 2020年3月15日閲覧。 日活公式サイト. 2020年3月15日閲覧。 日活公式サイト. 2020年3月15日閲覧。 外部リンク [ ]• - (英語).

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石原まき子の若い頃が可愛い!石原裕次郎の出会いや馴初めは?遺言とは?

石原裕次郎 若い頃

石原裕次郎さんのプロフィール プロフィール• 本名 :石原 裕次郎• 生年月日: 1934年12月28日• 没年月日 :1987年7月17日(52歳没)• 出生地 :兵庫県神戸市須磨区• 死没地 :東京都新宿区信濃町慶應義塾大学病院• 身長: 182 cm ウエスト71cm 股下85cm(デビュー当時)• 血液型: A型 石原裕次郎さんのデビューまで 父:潔(山下汽船社員)1899年(明治32年)-1951年(昭和26年) 母:光子 1909年(明治42年)-1992年(平成4年) の次男として1934年(昭和9年)兵庫県神戸市で生まれました。 兄は、小説家の石原慎太郎さんです (1932年(昭和7年)生まれ) 石原裕次郎さんは良家の子弟というイメージですが、父・潔氏は山下汽船のサラリーマンで、旧制中学も出ていない身からのたたきあげで役員にまで出世した豪傑肌の人物でした。 母・光子は、実践女子学校をでて、父とは見合い結婚をしています。 石原裕次郎さん、生まれは神戸でしたが、幼少期を北海道小樽市で過ごしました。 小樽の港で汽船会社の支店長をしていた父はたいそう羽振りが良く、毎晩のように宴会をしていたそうです。 北海道・小樽を出て逗子に引っ越した石原家でしたが、父親の潔氏はたいへんな子煩悩で 高校生だった石原兄弟にヨットを買い与えています。 当時の金額で25000円ということですが、戦後まもない昭和20年台半ばにヨットで遊んでいる高校生はほとんどいなかったと思います。 この時の経験が後の役作りに繋がっていきます。 石原慎太郎・裕次郎兄弟は、湘南の海をヨットで駆け回っていました。 また、裕次郎さんは高校生の時、自らバスケットボール部を創設し、バスケットボールの選手としてオリンピックを目指していました。 しかし1952年、高校2年生の時に左足に大けがをして断念しています。 裕次郎さん高校一年のとき、父・潔氏の突然の死 同年、父の死もあり荒れた生活になりました。 裕次郎さんが高校1年の時、父・潔氏は会社の会議中にいびきをかいて居眠りを始めた。 脳溢血による発作で突然の死でした。 父の死のショックからか、裕次郎さんは、お酒、麻雀、ヨット、喧嘩、ボクシングに、明け暮れる毎日を送られたそうです。 慶応高校の学生だった裕次郎さんは放蕩の限りを尽くし、湯水のごとくお金を使っていました。 あまりの散財に裕福だった石原家は次第に困窮するようになってきました。 当時、一橋大学に進学していた兄の慎太郎さんは、家計を助けるために、公認会計士を目指して勉強していました。 裕次郎さんは、慶応大学に入学しましたが、相変わらず放蕩ざんまいの生活をしていたようです。 勉強に集中できずに慶応大学は中退しています。 石原慎太郎さんが、そんな裕次郎さんの周辺から聞かされたエピソードを題材に書いた、「太陽の季節」という小説が評判になり、1955年(昭和30年)「文學界新人賞」と「第34回芥川賞」を受賞しました。 こうして、小説家として慎太郎さんが一家を支えていくことになりました。 後に慎太郎さんは 「父が生きていれば自分は小説家になっていなかっただろう」と語っています。 この小説は、海辺で無秩序な行動をとる若者を意味する、 「太陽族」という流行語を生み出し、若者の間で大ブームとなりました。 水の江滝子さん 水の江滝子さんは著書で裕次郎さんとの初対面の印象についてこう語っています。 一目で「これはいける」と思った。 不良って言ってもね、本当の不良かどうかは雰囲気でわかるんです。 裕ちゃんにはそういった暗い影がなかった。 輝きがありましたから。 大人しい子と、きかない子っているでしょう。 裕ちゃんはきかない子で、やりたいことをやる子だったから、お父さんが亡くなって、自分自身の気持ちを爆発させる場がなかったんじゃないの? まあ、慎太郎さんやお母さんにずいぶん迷惑をかけたのは本当らしいけどね 出典元:水の江滝子著「みんな裕ちゃんが好きだった」より 「太陽の季節」で鮮烈なデビュー 裕次郎さんは大学に進学後、俳優を目指し、「東宝」「大映」「日活」の、オーディションを受けましたが、すべて不合格になっていました。 1965年に、日活が 「太陽の季節」を映画化。 慎太郎さんのすすめで、映画デビューを果たしました。 主演は長門裕之と南田洋子。 この映画がきっかけで結婚されたようです。 裕次郎さんは、当初原作に登場する文化風俗などを兄に代わって説明するような立場で関わっていましたが、役者の数が足りなくなったため急遽出演することになったそうです。 高校生・津川竜哉( 長門裕之)はバスケット部からボクシング部に転部して、ボクシングに熱中しながら仲間とタバコ・酒・バクチ・女遊び・喧嘩の自堕落な生活を送っていた。 街でナンパした少女の英子( 南田洋子)と肉体関係を結び、英子は次第に竜哉に惹かれていった。 だが竜哉は英子に付きまとわれるのがしだいにうっとうしくなってくる。 そして英子に関心を示した兄・道久に彼女を5千円で売りつける。 ところが英子が竜哉の子を身籠ったことがわかり、妊娠中絶手術を受けたが、手術は失敗し英子は腹膜炎を併発して死亡してしまう。 葬式で竜哉は英子の自分に対する命懸けの復讐を感じ、遺影に香炉を投げつけ、初めて涙を見せた。 竜哉は学校のジムへ行き、パンチングバッグを打ちながら、ふと英子の言った言葉を思い出した。 「何故貴方は、もっと素直に愛することが出来ないの」。 竜哉はその瞬間見えた英子の笑顔の幻影を夢中で殴りつけた・・・ 太陽族だった滝島夏久( 石原裕次郎)の弟・春次( 津川雅彦)は、遊び人ではでな兄に比べて、まじめで純真な青年であった。 女漁りのうまい夏久に比べて、春次は全然女を知らなかったが、ある日、逗子駅ですれ違った娘の瞳に、何故かドギマギして立ちすくんだ。 その日の夕方、友人平沢( 岡田真澄)のサマーハウスで兄弟は友人達とパーティを開く相談を決めた。 みんなそれぞれ未知の女性を同伴することに決まると、春次は又もや先刻の娘の姿を思い出すのだった。 翌々日ウォータースキーのレースで夏久と組んだ春次は、思いがけずも仰向けに泳いでいる例の娘、天草恵梨(北原三枝)に逢い、彼女を一色海岸まで送った。 やがてパーティの当日、春次はしゃれたカクテルドレスを着た恵梨を同伴して現われ、夏久達を驚かせた。 パーティを抜け出た二人は車を駆って入江に走り、春次は生れて始めての接吻を恵梨に受けその体を固く抱きしめた。 一週間後、夏久は横浜のナイトクラブで外国人と踊る恵梨の姿を見た。 夏久は春次に黙っていることを条件に、恵梨と交渉を持つようになる。 恵梨は春次の純情さを愛する一方、夏久の強靭な肉体にも惹かれていった。 だが、やがて恵梨の心にあった兄弟への愛情の均衡も破れ、彼女は夏久の強制で春次との待ち合せを反古にしてしまう。 平沢から恵梨と夏久に関する総ての出来事をぶちまけられた春次は、憑かれたようにモーターボートで二人の後を追った。 早朝の海の上、春次は夏久と恵梨の乗ったヨットの周囲を乗り廻しながら、無表情に二人を眺めていた。 夏久は耐えられなくなり思わず「止めろ、恵梨はお前の物だ」と叫ぶなり彼女を弟めがけて突きとばした。 その瞬間舳先を向け直した春次のモーターボートは恵梨の背中を引き裂き、夏久を海中に叩き落してヨットを飛び越えた。 白いセールに二人の血しぶきを残したヨットを残して、モーターボートは夏の太陽の下を、海の彼方へと疾走して行った。 この映画で主題歌も担当し、歌手デビューもしています。 「俺は待ってるぜ」「嵐を呼ぶ男」で大スターに 1957年10月、 「俺は待ってるぜ!」が大ヒットしました。 国分正一( 石原裕次郎)は銀座でギターの流しをしていました。 音楽大学に通っている弟の英次( 青山恭二)は兄を売り出したいと考えていました。 兄弟の母親(小夜福子)は喧嘩ばかりしている兄、正一よりも、弟の英次に期待していた。 英次は銀座のクラブの支配人、美弥子( 北原三枝)に兄の正一を売り込みに行く。 美弥子は店のバンドのドラマー、チャーリー( 笈田敏夫)と付き合っていたが破局。 新しいドラマーを探していた。 美弥子はけんかで留置場にはいっていた正一の身元保証人となり、新ドラマーとしてスカウトする。 正一は猛練習によってドラムの腕を上げていった。 スターになった正一は美弥子と恋仲になっていく。 チャーリーは正一にドラム合戦を申し込む。 前夜、正一はチャーリーの仲間とけんか、右手をけがしてしまう。 片手でドラムを叩きながら「おいらはドラマー、やくざなドラマー」とアドリブで歌い、チャーリーに勝利します。 正一の名声は高まっていったが、あらたなトラブルが彼を襲います・・・.

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