ブルゾン ちえみ 悪性 リンパ腫 ブログ。 転移でないのになぜ…?舌がんで闘病中の堀ちえみさんが今度は“食道がん”を公表、明日手術へ

悪性リンパ腫 人気ブログランキング

ブルゾン ちえみ 悪性 リンパ腫 ブログ

偏差値は60の公立高校。 1963年(昭和38年)に創立した歴史ある公立の進学校で、2012年から中高を区別せず一貫した6年制教育を行う現在の「大安寺中等教育学校」に再編されました。 陸上は岡山市立上道中学校時代から始めていました。 高校時代、陸上部で長距離3000mのタイムが10分22秒だったり、練習で1万m走っていました。 2008岡山総体にも出場し、3000mで7位の成績をおさめています。 ブルゾンちえみさんは高校時代18才のとき、大きな挫折を味わっています。 成績は常に学年トップでしたが、大学受験の時、第一志望の学校に面接で落ちてしまいました。 「私のしてきた努力は全部無駄だったんだ・・・」 そんな時に支えてくれたのが陸上部の監督だった坪井恭紀先生 「お前の魅力をわからない学校なんか行く必要ない!お前の良さをわかってくれる人はたくさんいるから落ち込むな!」 生きていく勇気をもらいました。 2017年6月24日 地元岡山でのライブのあと坪井恭紀先生と久しぶりの再会を果たし、どん底の自分を支えてくれた坪井恭紀先生に、感謝の気持ちを伝えました。 先生の前でネタをやるのは感慨深かった!しかし楽しい会話のあと坪井恭紀先生が・・・ 「今日は娘を連れてきたから写真を撮ってくれないか?」 娘は、2年前に大きな病気「悪性リンパ腫」を患い、抗がん剤治療を終え、自宅療養中でした。 ブルゾンちえみさんに会わせて、娘を勇気づけたかったのです。 お笑いが好きだから、本人と会えばいい方向に回復すると思って。 ブルゾンちえみさんは、あの日、絶望の淵から作ってくれた恩師のため、自分にできる何かをしたかった。 だから夏休み中にマラソンの自主トレをしました。 『先生の言う通りだった。 偏差値は50(教育学部)。 彼女も父と同じ教員になるべく、実家から離れた島根大学の教育学部に進学。 しかし志半ば3年生で中退し、実家に戻ります。 岡山にある劇団での活動を経て、大阪の音楽専門学校へ。 今度は歌手活動をスタートさせます。 2013年23才の頃、友達と一緒に芸能学校「ワタナベエンターテインメントカレッジ」に入学。 なんとなく一緒に上京しようっと思ったんだとか。 しかし学校で、歌手よりもタレントの道を勧められてバラエティタレントコースを選択。 先生に「すぐにでもバラエティ番組に出演したい」と言ったところ、芸人になるのが一番近道だと勧められて、芸人の道へ。 この先生がいなかったら、今のブルゾンちえみさんはないかも。 2015年9月卒業 25才の頃 ワタナベエンターテインメント所属で芸人デビュー! 芸歴1年4か月でのブレイクはものすごい快挙です。 」に主演して地上波テレビデビュー! 2016年2月3~2月24日の間、いきなり4週にわたり出演しました。 おもしろ荘」に出演して 見事優勝したのがきっかけでブレイク!人気に火が付いたのでした。

次の

21歳で悪性リンパ腫に…闘病しながら社会に恩返し

ブルゾン ちえみ 悪性 リンパ腫 ブログ

2007年2月 ようやく血液細胞内科の病室へ引っ越すことができた。 1回目の抗がん剤とその事前検査のために。 ただし、抗がん剤投与は2~3週間後だ。 なぜそんなに間が空くのか理由は忘れてしまった。 (ぼやぼやしてるとステージが進んで末期がんになるのでは?と不安ではあった) ま、病院がそう言うんなら従うまでだが。 今回は事前検査のため1泊2日入院して、一時帰宅という形で抗がん剤の日まで普段通りの生活をする予定だ。 血液細胞内科の病室だが、特にこれといって特筆するものはない。 またも4人部屋だが、既に3人の方が入院されてた。 ちゃんと挨拶する間もなく、荷物を置いたらすぐにいろんな検査のために部屋を出て行かねばならない。 僕が一番印象に残った検査は 骨髄検査だ。 うつ伏せになり、O先生が僕の腰のところにドリルをあててゴリゴリと音がし出した。 なんだかムズムズした感じがするが、うつ伏せゆえにその状況を見ることは不可能だ。 無論、麻酔のおかげで痛みは無い。 でなければ生き地獄であろう。 しかし、このゴリゴリとする音がなんとも気色悪い。 骨に穴を開ける音なんだろうが、生きている人間の骨をドリルで穴を開けるなんて・・・想像するだけでコエー。 もし骨髄までイカれていたら更に深刻な事態だが、幸いにも問題は無かった。 一通りの検査が終わり部屋へ戻った。 ようやく落ち着いて挨拶ができるかと思いきや、誰もいない。。。 寝たきりの老人ではないので、誰もが何かの検査やら、ちょっと散歩やら来客やらで部屋を空ける機会が様々なのだ。 逆に全員がちゃんと揃うのは就寝時間と早朝ぐらいではないだろうか。 その日はカミさんが付いていてくれたが、夜、面会時間を過ぎて帰った後、ようやく同部屋の先輩達が全員揃ったのでちゃんと挨拶することができた。 それぞれ年齢は21歳、49歳、32歳だった。 皆、僕と同じような血液のがんを患っている人たちだ。 21歳の青年は大学生だ。 治療のため休学中との事。 ・・・この若さでなんて不憫な。 正確な病名までは覚えていないが、白血病だったと思う。 一時良くなって退院して復学したが、容体が悪くなったので再び、を繰り返しているそうだ。 49歳のKさんは骨髄性多発種。 10年前に発症して一度は寛かいして元の生活に戻れたが、最近再発して入院されたらしい。 Kさんとはこの中で一番会話した仲である。 ネット関連のお仕事をされてるらしいが、見た目通り仕事が出来そうな、それでいて優しい人だ。 32歳の人は僕とほぼ同年齢のアメリカ人だ。 Jさんという。 日本の生活が長いせいか、日本語はペラペラである。 Jさんは後にも先にも、この時の挨拶ぐらいしかしていなので詳細は分からないが、 後にKさんから聞くと、何年も前から闘病生活を送っているとの事。 とまあ、同じ病室仲間の紹介は余談ではあったが、この人たちを見て僕なりに学んだ事がある。 おそらくこの先の全人生を含めても5指に入るほどの教訓であろう。 僕なんか比較にならないぐらい壮絶な人生を歩んでいる人が目の前に3人もいる。 無論、この科の患者は他の病室にもたくさんいるわけで、もっと重症な患者もいるだろう。 この血液細胞内科という箱の中に入って直接周りを見る、という事に大きな意味を感じた。 正直なところ、がんを宣告された後、なんで俺だけ、という気持ちが付きまとっていた。 しかし、彼らを見ていると「 自分はまだ恵まれている」と思えてきた。 無論、心の中だけにしまっている。 24時間テレビで、がん患者にスポットをあてたその人と家族の苦労や悲劇の現状を観たことあるが、全く縁の無い人のそれを見てもどこかリアリティに欠けるところがあったし、その時の自分は健康であるがゆえに他人事でもあった。 現実に自分がその立場になり、更にもっと厳しい現実の人たちとこうして直接コミュニケーションをとると考え方がガラリと変わる。 自分が逆境の中でこそ「 自分はまだ恵まれている方だ」という気持ちを持てと、神様からそういう機会を与えられ教わった気がした。 綺麗事だとは思うが、今の自分の支えとなった。 スポンサーリンク 翌日、一時帰宅という形で我が家に帰った。 しばらくは普段通りの生活を送るが、会社には今後の自分の生活の流れを話しておかなければならない。 親族にもだ。 保険会社にも言って、入院費と手術費をもらう手続きもせねばならない。 この間の生活はカミさんも大分気を使ってくれていた。 この先の生活はどんなのか予想がつかないが、別にどうという事もない。 僕の精神は安定している状態かな。 と思いきや、入院3日前の夜、1人で寝ていると猛烈な恐怖感に襲われた。 死への恐怖である。 なぜかは分からない。 何がきっかけでそうなったかも分からない。 精神的に安定していたのでその反動かもしれない。 とにかく、 唐突に、である。 がんで死ぬかもしれない。 死んだらどうなるのか。 死後の世界は存在するのか。 死んだら親父とお袋に会ってしまうのか? 死への恐怖で体が震えてきた。 事実、がんにむしばまれているので、その先にあるリアルな死をイメージしてしまった。 その辺の老若男女が冗談めいて、俺もう死ぬ、とか、殺される、とか笑顔で軽々しくほざいている連中に思い知らせてやりたいぐらい、死に対してリアルに悩んでしまった。 この「がん」という、どうしようもない現実は避けようがないので笑えない。 この悪性リンパ腫になる確率は1/20000人だと何かで見た。 そんな確率で起こる病気を本当に治せるのか?という疑問もある。 ワシが死んだらカミさんは30歳の未亡人か。。。 若い未亡人だ。 結婚4年目にしてそれはちょっと不憫というか、なんか申し訳ない気持ちにもなる。 しかし当時は子供を授かってなかったので、それだけは不幸中の幸いだ。 でも一応、遺書は書くべきなんだろうか? 遺産は無いのでただの手紙か・・・不要だな。 とまあ、いろんな想像が飛び交いつつも、カミさんには心配かけたくないので言わずに胸の内にしまった。 不安を抱えながらも抗がん剤に一縷の希望をかけるしかない。

次の

悪性リンパ腫戦記 その4~リアルな死の恐怖

ブルゾン ちえみ 悪性 リンパ腫 ブログ

その日は、詳しい検査はされず、おそらく、炎症性のものだから、心配することないと先生にいわれ、安心していましたが、2週間たっても、腫れは引かず、別の大学病院で再度診てもらう事に決めました。 「咽頭癌か、悪性リンパ腫か、良性の炎症ですね」。 今まで一度も入院経験のない私が、まさか、それも「癌」を患うなんて... 生体検査の手術を受けるタイミングは、私たちの会社の4期目を迎える直前でした。 会社から抜ける事、そして、自分の未来に保証がないこと。 恐怖があふれてきて、正直、会社の代表として、走り続ける自信がなくなっていました。 「こんな弱虫な社長、最悪だ... 誰もこんな気持ちの人について行きたくないよ」 社員のみんなの声が聞こえてくるようでした。 でも、言わなくては。 最初に、今まで隣で一緒に走ってきた取締役の樋浦さんに相談しました。 「そうですか... でも大丈夫です。 READYFORは、僕らが守るから」 今まで心のどこかでずっと一人で走っていた感じがしていました。 でも、彼の表情を見て、「私は、会社という【家族】を作ってこれていたんだ。 辛いときは、頼っていい。 任せよう」と勇気づけられました。 世間からみたら、情けないかもしれない。 ダメな社長かもしれない。 でも、このきっかけをチャンスと捉え、さらに強い組織になるんだ、そういう時間を神様がきっと与えてくれたんだ、この瞬間から私は頭を切り替える事が出来ました。 そして、7月から私は長期療養に入りました。 とはいうものの、実は、想定していたよりも、副作用が強くなく、聞かされていた吐き気もなく、ある程度自由に動けるため、この闘病期間を学び直しの時間として、動いております。 また、まかせきりの会社も順調で、私の不在も影響なく(笑)、新しい体制で成長させていただいております。 ということで、私が戻ったらこの会社が、この時代に必要な仕組みとして、さらに高い価値を提供できるように、面白い仕掛けを考え、世に出していこうと思っています。 お休みしている中で、いくつか思ったこと。 1、途中で立ち止まる事は悪い事ではない 20代最後の歳に、ゆっくり自分に向き合う時間をもらいました。 今までアウトプットばかりになっていた知識を増やすべく、100冊を目標に、本を読む事にしています。 特に哲学(西洋も東洋も!)、日本史(特に幕末〜昭和史で半藤先生を読破しました!)、経済学(アダムスミスとか、フリードマンとか)等、本来学生のときに学ばなければならないことを学び直しています。 (いつか20代が読むべきオススメ本100冊!とか出版しようかな。 ) 突然訪れた立ち止まる時間でしたが、人生100年時代と言われている2017年に生きる私たちには、「たっぷり時間があるのでは」と思うようになりました。 (幕末の志士なんて、20代で国のリーダーになり、40代で死ぬというスパンを考えると、人生2. 5倍もある!!)100年を存分に生きるためには、幾度か立ち止まってしっかり新しい知識をインプットをし、そしてまた走り出す。 未来予測が難しいこの時代に生まれたからこそ、立ち止まる事が人の可能性をのばし、そして、充実した一人一人の人生を生み出すんだということを確信しました。 2、究極の場面では、守ってくれるのは、お金ではなく、人と人との信頼だ 悪性リンパ腫と診断された日、旦那さんと一緒に、複数の知り合いのお医者様に連絡させていただき、自分の診断結果を伝え、どのように治療に臨めばよいかを聞きました。 ですが、そのエライ先生の予約がとれるのか?お金はいくらかかるのか?その不安は杞憂におわりました。 親しい友人と、私のメンターが、仲介してくださる教授を紹介してくれ、結局、診断から3日後にはその名医に基本料金で予約する事ができました。 まさに友達さまさまです。 最終的には、私の病気は、標準医療が確立した病気であったことと、診断してくださった病院の医師との信頼関係が出来ていたので、家の近くの大学病院に通院となりました。 何を言いたいかというと、究極の問題解決の道は"お金"ではなかった。 代わりに、自分のために一生懸命になってくれる人がいて、その人たちのつながりで、私の命は助かったということです。 人のつながりのほうが、お金より高い成果を生むという事を肌で感じた、良い事例になりました。 これって、クラウドファンディングの構造と共通するのではと思います。 クラウドファンディングは、日頃培った人間関係のもとで自分を信頼してもらい、お金を出してもらう手段であるわけです。 ということは、スタートは「信頼」だという事ではないでしょうか。 信頼こそが財産で、それを大事に生きて行く事が、一人一人の生きる軸になるのではないかと思いました。 今の想いは、一旦ここまでにしておきます。 嬉しい事に、発見が早く、転移がない状態で見つかったこともあり(ステージ1ってやつです)、治療の薬がしっかり効いてくれて、もうすぐ治療も終わる予定です!お休み中、お仕事やプライベートのお誘いを沢山の皆様に頂きましたが、治療の初期だったこともあり、本当のことをお伝えせず、お断りをしてしまい申し訳ありませんでした。 もうすぐ復帰ができるので、復帰後に皆さんとお会いできる事を今から楽しみです。 快気祝い等のお誘いもお待ちしています!笑 20代最後の4ヶ月、会社から離れ、黙々と本を読み、これまでの人生を振り返り、30歳からの自分、会社、そして社会について深く考え、決断できたように思えます。 病気がきっかけでしたが、こんなに豊かな時間を作れたことに感謝しかありません。 人間にはそれぞれ使命がある、私にはそれを感じずにはいられない時間になりました。 最後に、この弱い社長を支えてくれた、レディーフォーのみんな、毎日支えてくれる両親、そして、入院中、毎日病院に来て、泣きながらハグしてくれた、イケメンな旦那様。 本当にありがとうございます。 絶対元気になって、もっと会社を面白くするので楽しみにしていてね。

次の