千 と 千尋 の 神隠し その後 漫画。 【その後】ハクは八つ裂き、それとも…?「千と千尋の神隠し」の裏話

【都市伝説】千と千尋の神隠しのその後でハクと千尋は再会するかを調査

千 と 千尋 の 神隠し その後 漫画

千と千尋の神隠し大好きなんだけど、ハクは最後約束通り八つ裂きになったってのが公式ホームページ出てたって噂に真っ向から噛み付きたい派。 ハクが八つ裂きにされたのはこの瞬間と言われています。 髪ゴムが光ったのはハクの涙だそうです。 もう一度最後の別れのシーンまでを振り返ってみましょう。 千と千尋の神隠しの終盤、千尋の両親を人間に戻す方法と湯婆婆の姉の銭婆から盗み出した「契約印」の魔法で体を食い荒らされたハクを助けるために銭婆に「契約印」を返し、ハクのしたことを千尋が謝ります。 しかし、銭婆は助ける事ができないと告げ、自分たちの力でなんとかするしかないと言います。 その頃、ハクも正気を取り戻しており、ハク自身も千尋とその両親を元に戻してもらうために、ねずみとなった坊を連れ帰ると交渉します。 ここで、湯婆婆もすんなりとは応じてくれず、 「それでお前はどうなるんだい?その後あたしに八つ裂きにされてもいいんかい?」 この言葉にハクが解答するシーンはありません。 「それはちょっと・・・」とは言わないのは明白です。 ハクは決意を決めた顔をしています。 その後、ハクも約束通り、坊ネズミがいる銭婆の所へ。 そして、千尋のおかげでハクは自分の名前「コハク川」を取り戻します。 そして、油屋に戻り、何匹もの豚の中から自分の両親を当てろ。 と湯婆婆に最後の試練を与えます。 結果、その中に両親はいないことを当て、湯婆婆との契約は解消し、最初にくぐったトンネルへハクと共に向かいます。 しかし、冒頭部分で海となっていた場所の手前で、立ち止まります。 ハクは千尋に語りかけます。 「私はこの先には行けない。 千尋は元来た道をたどればいいんだ。 でも決して振り向いちゃいけないよ、トンネルを出るまではね」 千尋にハクはどうするの?と聞かれ、 「私は湯婆婆と話をつけて弟子をやめる。 平気さ、ほんとの名を取り戻したから。 元の世界に私も戻るよ」 と言います。 そして、千尋は「またどこかで会える?」と聞き、 「うん、きっと」「きっと」 と答え2人は別れます。 そうなんです。 「必ず!」とはハクは言っていません。 よって、自分が八つ裂きにされる運命を悟っている発言なんです。 よって、ハクは最後、湯婆婆との約束通り八つ裂きにされてしまった事が濃厚になります。 ハクは嘘はついていない。 (輪廻転生説) 八つ裂きにされてしまうというのは人間としての例えであり、実際ハクは千尋と違い「コハク川」という川という自然の産物となります。 「もう会えない!」とは言わないのは、千尋に対する優しさだけではなく、「もしかしたら会えるかもしれもしれないという意味も込められています。 八つ裂きにされてしまっても、自然の中で輪廻転生することが考えられます。 輪廻転生(りんねてんせい、りんねてんしょう)• 輪廻のこと。 転生のこと。 1と2をあわせた言い方。 転生輪廻(てんしょうりんね)とも言い、死んであの世に還った霊魂(魂)が、この世に何度も生まれ変わってくることを言う。 ヒンドゥー教や仏教などインド哲学・東洋思想において顕著だが、古代ギリシアの宗教思想(オルペウス教、ピタゴラス教団、プラトン)など世界の各地に見られる。 輪廻転生観が存在しないイスラム教においても、アラウィー派やドゥルーズ派等は輪廻転生の考え方を持つ。 引用元: コハク川としての魂は次のものへと継承されていくと考察します。 植物 など如何なるものへと転生し、再び千尋と再会できる可能性はあると考えたハクは、 「きっと」と伝えています。 また、自分の名前をすでに思い出しているハクは、より次の「自分」へと転生できるのだと思います。 もし、千尋がハクの正体に気付かなければ、本当に八つ裂きにされ、自分をわからないまま、暗い闇の中へ葬られていたかもしれませんね。 公式(ブログ・宮崎駿監督)のその後について 千と千尋の神隠しで、ハクと千尋が最後に分かれた後、ハクが八つ裂きにされるっち「デマ」が流れとるね。 ジブリやったらそんな断定はせずに、視聴者にいろいろな解釈をさせたかったんやないかな。 一個人の解釈を「ジブリの解釈」のように流すのはおかしいやろ。 ジブリは公式に発表しとらんけ。 油屋の世界観やルール• 宮崎駿監督のコメント この2つが、ハクが八つ裂きにされたことの信憑性を高めています。 公式のブログでは、 「すべてのことはルールに従わなければならない」という世界観により湯婆婆の言葉通り八つ裂きにされる運命をハクは受け入れている。 宮崎駿監督の公開当時のコメントでは、 千尋と最後に別れるシーンで、手を繋いでいた千尋の手が離れ、ハクの手だけが名残惜しく画面に残っています。 これは2人の永遠の別れを表現している。 この2つのコメントにより、ハクの行く末の「八つ裂き説」はかなり有力になりますね。 千尋とハクの5年後 近所の小川。 元々きらきら笑っていたはずの小川をこんな姿にしたのは人間。 私も無関係じゃない、どこかで繋がっている。 「千と千尋の神隠し」の「ハク」のその後を想像した。 5年後の設定があるとすれば、千尋はすでに14歳になっています。 もちろん、油屋での出来事も覚えており、ハクとの再会を夢見て日々の生活を過ごしていました。 しかし、ハクとの思われる人物との再会は果たせずにいます。 冒頭部分で紹介した、輪廻転生説が正しければ、 ハクは別の自然界の転生しているとします。 流れている川や自然の全てに、ハクを感じるようになります。 5年の歳月を経て、また少し大人となった千尋は、すでにハクと実は再会していたことに気付く千尋。 常に共にあることを感じ、油屋でのことを胸に刻み日々を過ごしていきます。 「千と千尋の神隠し」では千尋の成長を描くキッカケに過ぎません。 結局、自分の力で成長していくことがわかるのも、5年後になるということ意味しています。 まとめ 今回は千と千尋の神隠しハクの最後の結末・公式の情報や5年後のその後について紹介・考察していきました。 宮崎駿監督の作品は視聴者自身が考えるような結末やメッセージが込められた作品が多いです。 各々でそれを読み解いていくのが、ジブリ作品の醍醐味でもあります。 他の意見や考えがあれば、ぜひコメントいただけると嬉しいです! 「千と千尋の神隠し」関連記事.

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千と千尋の神隠し・なぜ振り向いてはいけないのか?ダルマ説と理由を考察

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スポンサードリンク 千と千尋のその後の噂については? 千と千尋の神隠しは トンネルから出た千尋が 家族と一緒に車に乗って走らせる というシーンで終わっているけど、 実は千と千尋の神隠しには 車を走らせたその後の幻のラストシーンがある なんて噂が存在している。 その千と千尋の幻のラストシーンというのが 千尋が最初に車の中で着けていた髪留めが 銭婆からもらった髪留めなのに気付くけど、 その理由が分からなくて不思議がる 新居に向かっているときに 丘から引っ越し業者が到着するのが見えて 「もう来ちゃってるじゃないの」 と母が愚痴をこぼす 新居に到着後、引っ越し業者から 「遅れられると困りますよー」 と注意されてしまう。 千尋が新居の周りを歩いていると 短い橋のかかった小川があることに気づく 橋から川を眺めていると一瞬悟ったような表情になり この川がハクの生まれ変わりで 新たな住処であることに気づくような 意味深なシーンで物語は終わる という内容になってる。 スポンサードリンク 千と千尋のその後は公式ではないの? 千と千尋のその後については ファンの間でうわさがされているし、 見たという人もいるにはいるのだけど、 劇場公開のみ、また1週間限定 という話なうえに DVD等でも収録されておらず テレビ放送もされていないという状況で、 本当なのかどうか確かめるすべは すでに存在していない。 ただ、 宮崎駿監督はは脚本を書かず、 脚本代わりになる絵コンテを描くのだけど、 そういうシーンは 絵コンテの中にはないという話だし、 そもそもDVDにも収録されないものが 限定上映されるとも思えない部分がある。 ただ、 千と千尋の神隠しのラストでハクが 「私は湯婆婆と話をつけて弟子をやめる。 平気さ、ほんとの名を取り戻したから。 元の世界に私も戻るよ」 と言っていたことから あの後千尋とハクは 人間の世界で再会したのではないか と考える人もいるだろうし、 千尋とハクが再会してほしいと考える人も 存在すると思われるから、 それによって 千と千尋のその後のラストの噂が 誕生することになったのかもしれない。 ただ、 千と千尋のその後については 公式で確定してるものはないので、 その後について自分で予想をしてみるのも 面白いのかもしれない。

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千と千尋の神隠しの続きです。

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トンネルは異界との境界 神話や英雄譚にで必要なものは、主人公がいる世界と物語の舞台となる世界の 境界です。 この千と千尋の神隠しでは、最初にくぐったトンネルがその役割を果たしています。 トンネルを抜けた先が 異界であることは重要な要素なのです。 神話に限らず、小説でもそうですよね。 川端康成の雪国を思い出せば、トンネルがいかに重要な役割を持っているか理解できるでしょう。 世界を分けるシンボルとしてトンネルがよく見られますが、「くぐる」だったり、 視界を一度遮られることが「境界」の象徴なのかもしれませんね。 特に日本人にとってこの構造は非常に分かりやすいものです。 神社を見れば神様の領域と私たちの領域を「 鳥居」という境界で区切っていますよね。 私たちの家でも、内と外が明確に区切られています。 その境界は玄関そのものであったり、靴を脱ぐという儀式であったりします。 千と千尋の神隠しでは、この境界を明示することで、異界であることをはっきりと示している訳です。 行って、帰るのが大事 上でトンネルの話をしましたが、異界に行くのがトンネルなら、異界から 帰ってくるのもトンネルなんです。 そこで大事なのは、「 振り返らない」ということ。 ギリシャ神話のオルフェウスしかり、日本神話のイザナギしかり、神話の主人公たちは、大切なものを取り戻すために異界へと赴きますが、そこで「決して振り返るな」だったり、「見ちゃいけないよ」と言われます。 異界を振り返らないことは、 異界との決別を意味します。 もう来ないよ、の意志表示なんですね。 ただ上述の彼らは異界に行ったものの、大切なものを取り戻しかけたのに禁を破ってしまったので、それを失ってしまったのです。 そう考えると、「千と千尋」の千尋は勇敢でした。 ハクに「決して振り返ってはいけないよ」と言われ、その通りに元の世界に戻ったのです。 前を歩いてくれる母親にしがみついていた、というのもありますが、彼らを取り戻したのは千尋の尽力によるものですから、千尋は大きな力を示し、元の世界に戻ってくるという英雄の姿を実現したのです。 英雄に必要な実力の証明 英雄が必ず行わなければならないのが、 実力の証明です。 ただ振り回されるのではなく、何らかの形で自分の力を示さなくてはならないのです。 ギリシャ神話の英雄の多くは、恐ろしい怪物を倒して実力を示すことが多いです。 メデューサを倒したペルセウスだったり。 ヒュドラを倒したヘラクレスだったり。 千尋の場合はまず、くされ神の浄化が挙げられますね。 他の従業員たちが我先にと逃げる中で、 湯婆婆の命令はありながらも 客として相手をします。 その中で、くされ神に刺さっていたとげのようなもの 自転車 の存在を見抜く力を見せ、他の従業員の力を借りながら彼を浄化しました。 そこで手に入れたアイテムであるお団子によって、ハクの呪いを解いたり、カオナシを救ったりする訳です。 実力の証明は必ずしも自分だけの力で行う必要はありません。 くされ神の浄化だって、カオナシからもらった札があったからこそできたのです。 もちろんカオナシが助けてくれたのは、最初に千尋がその優しさからカオナシを招き入れたことに端を発しているので、手助けをしてもらえるだけの行動をしていたことが大切になります。 宝を手に入れて帰還する 英雄譚では、 悲劇でなければ 最後に 宝を手に入れて元の世界に帰ります。 例えば、怪物の隠していた金銀財宝であったり、怪物がさらったお姫様だったり。 千と千尋の場合は、両親がそれにあたります。 千尋にとってかけがえのないものを取り返し、元の世界に帰る訳です。 とはいえ、英雄譚で手に入れているのは、もとの世界で持っていなかったものです。 千と千尋の場合、両親を異界で失って、異界で取り戻しました。 となると、英雄譚の構造が見えなくなります。 しかしよく考えてみれば、エンディングでトンネルをくぐって元の世界に戻った際、ポニーテールを結んだ 髪飾りが一瞬きらめきます。 そう、これは千尋が異界から持ち帰った宝の象徴なのです。 ものとしては髪飾りですが、これが意味しているのは、「親元を離れている間に受けた、大人からの愛情」ではないでしょうか。 愛情にも様々な種類がありますが、銭婆からの愛は見守る愛、アガペー的な愛なのです。 ただ単に甘やかすのではなく、相手を見守りながら自立するのを助ける愛です。 家へと優しく招き入れ、状況を聞きつつ、「両親のことも、ボーイフレンドのことも、自分でやるしかない」と自立を促します。 そして、見送る時には「あんたなら大丈夫」と背中を押してくれる訳です。 ここは湯婆婆から坊に対する愛情と対照的ですね。 湯婆婆は甘やかしまくりですから。 坊は坊で、千尋と出会ったことで自立へと向かっています。 湯婆婆の部屋という彼にとっての「現世」を離れ、電車という境界を経て異界 銭婆の家 へと赴き、湯婆婆に甘えるだけでない自立へと向かう自分を手に入れて帰還しました。 千尋が両親当てゲームをする前に坊が立ち上がっていたこと、そしてその姿を湯婆婆に見せたことは、自立した精神性の現れと言えます。 名前は自己の定義に必要なもの 千と千尋の神隠しにおいて 名前は大事な役割を果たしています。 異界に迷い込んだときに、千尋は湯婆婆に名前を奪われて「千」と呼ばれるようになります。 自分で自分の名前を名乗ることができない、というのは、自己のアイデンティティの喪失な訳です。 ペルソナ的に言えば、聖エルミン学園でペルソナ様遊びをして気絶した主人公たちは、夢の中でフィレモンに名前を問われます。 ここで名前を名乗るというのが非常に大きな意味を持ちます。 名前というのは アイデンティティの象徴です。 自分と、それ以外を区別するための境界のようなものです。 ペルソナの主人公は、普遍的無意識という個の概念が溶け込んでしまうような世界において、自己を定義する言葉、すなわち名前を名乗ることで、自分自身を定義し、自己の別の側面を認識したことにより「ペルソナ」を使えるようになるのです。 話を千と千尋に戻せば、 名前を失ったハクが自分を見失って暴走していた点が顕著ですね。 「ハク」の本来の名は「ニギハヤミコハクヌシ」でしたが、この名前を奪われる 忘れる ことによって自我の喪失が起こり、湯婆婆にいいように操られていた訳です。 千尋は、ハクのアドバイスもあってか、自分が「千尋」であることを忘れずにいたため、あの異界にありながらそこに染まり切らず、自分の目的を果たすことができたのです。 異界の住人の行動とはかけ離れている姿が描かれていましたね。 それほどまでに、名前は 自己を定義するのに大きな意味を持つのです。 経営者として優秀な湯婆婆 ゲーム的な話から外れますが、個人的に気になったのが湯婆婆って 経営者として優秀な人じゃないか? ってこと。 くされ神が近づいているのを見て、最初は「入れるな」と言っていましたが、それが無理と分かると見るや否や、「さっさとサービスを提供して帰ってもらおう」と判断するのです。 この辺りの判断がいいな、と。 無傷でしのぐのが無理なら、なるべくリスクが少ない方法で切り抜ける、という判断が素早く下せるのが見事。 さらに、リスクを低減させる意味で、新人の千尋と一緒に応対してサポートに回ったのもいいですね。 熟練の従業員がくされ神のにおいや汚れで倒れてしまうのを防ぎつつ、トップである自分も応対に回ることで顧客への敬意を失わず、かつ新人を現場に立たせることで仕事も覚えてもらう、まさに一石三鳥。 その後現場での作業は千尋に任せつつも、上から様子を確認し、他の社員にサポートを指示している点もすばら。 カオナシは暴走した際に従業員に危害を加えており、それを見た湯婆婆が「いくら客とは言え許せぬ! 」と波動拳で応戦したのも、従業員を守る経営者としての姿と言えるでしょう。 お金にがめつい点は、言い換えれば従業員に給料を払うためでもありますから、お金にならない仕事や無駄遣いの部分をきっちり締めるのも経営者らしいな、と。 10年前は「湯婆婆なんでこんな嫌な奴なんだよ……」なんて思ってましたが、働いてから見ると別の感想を持ちますね。 こうして受け手の年齢や成長に従って感想が変わるのもいい物語の証拠なんだと思います。 まとめ ゲーム大好きっ子の視点と言いながら、そのゲームの元になっている神話や英雄譚が話の中心でした。 すみませぬ。 大人になってからジブリ映画を見ると、子供の時とは別の感想を持つのでそれも楽しめますね。

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