四面楚歌 時 利 あら ず 現代 語 訳。 垓下の歌

史記『四面楚歌』(項王軍壁垓下〜)わかりやすい現代語訳・書き下し文と解説 : 古文教室

四面楚歌 時 利 あら ず 現代 語 訳

張良(劉邦の軍師)の策略により、楚の歌を聞いた項羽軍の兵士たちが脱走していく場面。 劉邦と天下を争う項羽の軍隊は 垓下 がいか(現在の安徽省宿州市)に砦を築きます。 兵士の数は減り食糧も乏しく敵の兵がこの砦を幾重にも取り囲んでいます。 夜になると劉邦軍の兵士が項羽の故郷、 楚 その歌を歌う声が聞こえてきます。 項羽はこれを聞いて驚き「楚の人間はみな敵に寝返ってしまったのか」と嘆きました。 ちなみに楚とは中国の江南地方にあった地域名(元は国名。 のちに秦に滅ぼされる)で、項羽はこの楚にある貴族の家柄の出。 姓を項、名を籍、字を羽といい、一般に項羽と呼ばれます。 項羽は別れの杯をかわそうと床から起き 帳 とばりの中に入ります。 この戦いにずっとついてきたという名の愛妾もいっしょです。 また 騅 すいという名の名馬もそばにいます。 ここで項羽は詩を作ってそれを朗詠するのです。 虞美人(虞姫)。 自ら剣を取り自害します。 項羽はこののち劉邦軍の追撃を振り払って東方の 烏江 うこう(現在の安徽省を流れる川)に向います。 この時項羽に従う者は28人。 項羽もここを最期の場所と覚悟を決めます。 烏江では宿場の 長 おさが船出の用意をして待っており、項羽にこう申し出ます。 「長江の東、江東の地は小さいところではありますが、そうは言っても千里四方の広さがあり、住民の数も数十万を数えます。 大王様、どうかここを領地にを期してください。 急いで向こう岸に渡りましょう。 船はこれ一艘のみ、渡ってしまえば劉邦軍はついてはこられません」 すると項羽は笑って 「天が私を滅ぼそうとしているのだ。 今さらこの川を渡ってどうする?江東の若者八千人とここから西に向かって出陣したのだ。 その一人とて今生き残ってはおらぬ。 その親にどの面下げて会えると言うのか。 彼らが文句を言わなかったとしても、私は私を恥じずにはいられない」 さらにこの長に向かって 「立派な人物とお見受けする。 この馬を見てくれ。 この馬に乗って五年、当たるところ敵なしだった。 ともに一日に千里を走った。 殺すには忍びない。 こいつを引き取ってはもらえぬか」 項羽は武者全員に馬から下りるよう命じ、それぞれが短い刀剣一つで追ってきた敵と戦いました。 項羽ひとりで数百人の敵を倒し、自身も十か所以上の傷を負いました。 劉邦軍の騎兵隊長・ 呂馬童 りょばどうを見て「お前はわしの顔なじみではないか」と言うと、相手も項羽を見て「ああこれは項王だ!」と叫びます。 項羽は「この首には莫大な賞金が掛けられ、得た者は万戸の諸侯になれると聞く。 お前にくれてやろう」と言うや自分で自分の首を切り落としたのでした。

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四面楚歌 時 利 あら ず 現代 語 訳

史記『四面楚歌』 ここでは史記『項羽本紀』の中の『四面楚歌』(項王軍壁垓下〜)の書き下し文、現代語訳と解説をおこなっています。 「四面楚歌」とは、「敵や反対する者に囲まれて孤立していること、またはその状態」を意味します。 白文(原文) 項王軍壁垓下。 兵少食尽。 漢軍及諸侯兵、囲之数重。 夜聞漢軍四面皆楚歌、項王乃大驚曰、 「漢皆已得楚乎。 是何楚人之多也。 」 項王則夜起飲帳中。 有美人、名虞。 常幸従。 駿馬、名騅。 常騎之。 於是項王乃悲歌忼慨、自為詩曰、 力抜山兮気蓋世 時不利兮騅不逝 騅不逝兮可奈何 虞兮虞兮奈若何 歌数闋、美人和之。 項王泣数行下。 左右皆泣、莫能仰視。 書き下し文 項王の軍垓下に壁す。 兵少なく食尽く。 漢軍及び諸侯の兵、之を囲むこと数重なり。 夜漢軍の四面皆楚歌するを聞き、項王乃ち大いに驚きて曰はく、 「漢皆已に楚を得たるか。 是れ何ぞ楚人の多きや」と。 項王則ち夜起ちて帳中に飲す。 美人有り、名は虞。 常に幸せられて従ふ。 駿馬あり、名は騅。 常に之に騎す。 是に於いて項王乃ち悲歌忼慨し、自ら詩を為りて曰はく、 力山を抜き気世を蓋(おほ)ふ 時利あらず騅逝かず 騅の逝かざる奈何すべき 虞や虞や若を奈何せん と。 歌ふこと数闋(すうけつ)、美人之に和す。 項王泣数行下る。 左右皆泣き、能く仰ぎ視るもの莫し。 現代語訳(口語訳) 項王の軍は、垓下の城壁の中に立てこもりました。 兵の数は少なく、食料も尽きてしまいました。 漢の軍勢(沛公)と(それに味方する)諸侯の兵士は、城壁を幾重にも包囲しました。 ある夜に、漢の軍勢が四方で皆、(項王の故郷である)楚の歌を歌うのを聞いて、項王は大変驚いて言いました。 「漢はすでに楚を手中におさめたのだろうか。 (漢軍の中に)なんと楚の人間が多いことか。 項王はそこで、夜に起き上がって本陣の中で宴を開きました。 (項王の元には)美人がいて、名前を虞と言いました。 いつも寵愛されて、付き従っていました。 (項王の元には)駿馬がいて、名前を騅と言いました。 (項王は)つねにこれに乗っていました。 そこで項王は悲しげに歌い、激しく心をたかぶらせて、自ら詩を作って歌いました。 私の力は山を引き抜き、気力は天下を覆うほどであった。 (しかし)時勢の利は(もう我々には)なく騅は進もうとしない。 騅が進もうとしないのをどうすることができようか、いやできない。 虞よ虞よ、お前をどうすればよいのか、いやどうしようもない。 歌うこと数回、虞美人はこれ(項王の歌)に合わせ(て歌い)ました。 項王は幾筋かの涙を流しました。 (項王の)側近の者は皆泣き、顔をあげて(項王を)正視ることができた者はいませんでした。 単語・文法解説 垓下 中国の地名 帳中 本陣と訳す 可奈何 疑問、反語、肯定の意味で訳すことができるが、ここでは反語「どうすることができようか、いやできない」と訳す 奈若何 こちらも反語を表すが、「可」が含まれていないので、「どうすればよいのか、いやどうしようもない」と訳す 数闋 数回.

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四面楚歌(しめんそか)の意味!現代語訳でわかりやすくまとめたよ!

四面楚歌 時 利 あら ず 現代 語 訳

本文(白文・書き下し文) 項王軍壁垓下。 兵少食尽。 漢軍及諸侯兵囲之数重。 夜聞漢軍四面皆楚歌、 項王乃大驚曰、 「漢皆已得楚乎。 是何楚人之多也。 」 項王則夜起飲帳中。 有美人、名虞。 常幸従。 駿馬、名騅。 常騎之。 於是項王乃悲歌忼慨、 自為詩曰、 力抜山兮気蓋世 時不利兮騅不逝 騅不逝兮可奈何 虞兮虞兮奈若何 歌数闋、美人和之。 項王泣数行下。 左右皆泣、莫能仰視。 項王の軍垓下に壁す。 兵少なく食尽く。 漢軍及び諸侯の兵之を囲むこと数重。 夜漢軍の四面皆楚歌するを聞き、 項王乃ち大いに驚きて曰はく、 「漢皆已に楚を得たるか。 是れ何ぞ楚人の多きや。 項王則ち夜起ちて帳中に飲む。 美人有り、名は虞。 常に幸せられて従ふ。 駿馬あり、名は騅。 常に之に騎す。 是に於いて項王乃ち悲歌忼慨し、 自ら詩を為りて曰はく、 「力山を抜き気世を蓋ふ 時利あらず騅逝かず 騅の逝かざる奈何すべき 虞や虞や若を奈何せん。 歌ふこと数闋、美人之に和す。 項王泣数行下る。 左右皆泣き、能く仰ぎ視るもの莫し。 兵は少なく、食料は底を尽いていた。 漢軍及び諸侯の兵は、項王の軍を幾重にか包囲していた。 夜、漢軍が、四面、皆楚の歌を歌っているのを聞き、項王は驚愕して言った。 「漢は、すでに楚の全土を制圧したのだろうか。 なんと楚人の多いことか。 」 そこで、項王は夜起きて幕営の中で酒を飲んだ。 虞という名の美人がいた。 いつも項王に寵愛され、付き従っていた。 また、騅という名の駿馬がいた 項王はいつもこの馬に騎乗していた。 ここに至り、項王は悲しげに歌って嘆き憤り、自らこのような詩を作った。 力は山を抜き 気は世を覆った 時に利無く 騅は進もうとしない 騅が進もうとしないのを どうすればよいのか いやどうしようもない 虞よ虞よお前をどうすればよいのか いやどうしようもない 数回歌い、美人もこの詩に応じた。 項王は幾筋かの涙を流した。 側近たちも皆泣き、仰ぎ見ることのできるものはいなかった。 兵少食尽。 漢軍及諸侯兵囲之数重。 かうわうのぐんがいかにへきす。 へいすくなくしよくつく。 かんぐんおよびしよこうのへいこれをかこむことすうちよう。 「壁」は"城壁の中に立てこもる"意。 このとき、韓信・彭越・劉賈と、楚に叛いた楚の大司馬周殷が続々と垓下に集まっていた。 是何楚人之多也。 」 よるかんぐんのしめんみなそかするをきき、かうわうすなはちおおいにおどろきていはく、「かんみなすでにそをえたるか。 これなんぞそひとのおほきや。 「楚歌」は"楚の歌を歌う"。 「何〜也 なんゾ〜や 」は"何と〜なことだなあ"という、詠嘆の意。 有美人、名虞。 常幸従。 かうわうすなはちようたちてちようちう ちょうちゅう にのむ。 びじんあり、なはぐ。 つねにかうせられてしたがふ。 「帳」は"とばり"。 「幸」は"寵愛する"だが、ここでは意味的に受身でとるべきである。 常騎之。 於是項王乃悲歌忼慨、自為詩曰、 しゆんばあり、なはすゐ。 つねにこれにきす。 ここにおいてかうわうすなはちひかかうがいし、みずからしをつくりていはく、 「悲歌忼慨」は"悲しげに歌い、憤り嘆く"。 「為」は つく-ル と読み、その意でとる。 「抜」は訳しにくいが、城を落とす時にも「抜」を使うので、まあそんな感じのイメージだろう。 「兮」は音調を整え声を伸ばす時に用いられる助字で、主に南方で用いられた。 「奈何」は"どうしたらよいか"と手段や対策を問う。 "〜を"と目的語を入れる場合には、それを「奈」と「何」の間に入れる。 項王泣数行下。 左右皆泣、莫能仰視。 うたふことすうけつ、びじんこれにわす。 かうわうなみだすうかうくだる。 さいうみななき、よくあふぎみるものなし。 「闋」は歌を一回歌い終えること。 「和」は"応じる・こたえる"。 「左右」は"左右にいる者"であり、"側近"である。 「莫」は「無」に通じる。 「能」は可能の意の副詞である。 総括 項羽は秦を撃破した勇将にして大量殺戮者でもあり、 一方、秦を乗っ取るような形で漢王となった劉邦は意図的に残虐性を軽減した。 項羽はむかしの斉でも大量殺戮を行っていたので、 秦と斉の人は生き残るために劉邦と斉を制圧した韓信に頼るしかなかった。 紀元前203年11月、項羽は機動戦力の相当多数を司馬龍且に率いさせて韓信を攻めたが、 韓信がこれを大破すると天下の形勢が一気に傾き、 楚(項羽)の大司馬周殷すらが背き、韓信・彭越・劉賈と、続々と垓下に集まっていた。 四面楚歌はこのときの項羽の圧倒的敗勢を象徴するものであった。 この後、出身地の会稽方面に敗走した項羽がついにを迎えることになる。

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