カル ログ ローチェ。 1/35 CV33 カルロ・べローチェ製作記1(組立編)

カルヴィザーノ

カル ログ ローチェ

クチコミ 0件• 377,986アクセス• バリローチェ(正確には San Carlos de Bariloche)は、パタゴニアの北部、アンデス山脈の麓に位置する。 バリローチェはスイス系移民(主にドイツ語圏)の多い街で、別名「南米のスイス」と呼ばれている。 バリローチェには首都ブエノス・アイレスから平日でも1日10便以上飛行機の便があり、2時間余りで到着することができるが、時間に余裕があれば、往路か復路を1日かけて「湖越え」でチリ側の Puerto Montt(プエルト・モン)まで行ってみたい。 (詳細は以下の旅行記で参照できる。 ) バリローチェは Lago Nahuel Huapi(ナウエル・ウアピ湖)に面した美しい町で、ナウエル・ウアピ国立公園の山と氷河湖の自然を堪能することができる。 ゴンドラに乗れば、あっという間に標高 1,405mの Cerro Otto(オットー山)の頂上に立つことができる。 ここからはスイス風の山小屋の街並みやナウエル・ウアピ湖と Peninsula Llao Llao(ジャオジャオ半島)、それに大聖堂の尖塔のような形をした Cerro Catedral(カテドラル山:2,388m)等の絶景が広がる。 山頂には観光用だと思われるがセントバーナード犬までいる。 バリローチェは情熱的な南米の地にありながら、ヨーロッパの落ち着きを感じさせる街だ。 バリローチェを訪れたら、是非試してみたいことが4つある。 以下に写真で紹介したい。 1)多彩で洗練されたレストラン ナウエル・ウアピ湖で育った虹鱒(Trucha arco iris)・バリローチェ名物の鹿料理(Ciervo)・ スイス伝来のオイルフォンデュ等の料理が楽しめる。 2)Chocoraterias(チョコレートショップ) 3)スイス人気質を受け継いだ Artesanias(手工芸品) 4)氷河湖クルーズ ところで南米のあちこちになぜスイス人の切り開いた街があるのだろうかという疑問を持った。 現代のスイスからは想像し難いことであるが、実はスイスにも貧しい時代があり、第2次世界大戦の前には多くのスイス人が故郷を後にして国外に移住した時期があった。 統計によると1850年から1914年の間に約 40万人のスイス人が国外に移住し、アメリカや南米に渡ったという。 彼らは新しく切り開いた街に自分達の故郷の名前をそのまま残すことが多かった。 この San Carlos de Barilocheもそうである。 Barilocheは現在のチリとアルゼンチンに跨って住んでいる先住民マプチェ族の言葉で「(今のチリ側から)山の向こうに住んでいる人」を意味する。 また San Carlosは移民で商人であった Carlos Wiederhold Piwonka の名に因んだものであるとされている。

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『バリローチェ(北パタゴニア/アルゼンチン):「南米のスイス」と呼ばれる街と氷河湖の絶景』サン・カルロス・デ・バリローチェ(アルゼンチン)の旅行記・ブログ by カリオカケイタさん【フォートラベル】

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クチコミ 0件• 377,986アクセス• バリローチェ(正確には San Carlos de Bariloche)は、パタゴニアの北部、アンデス山脈の麓に位置する。 バリローチェはスイス系移民(主にドイツ語圏)の多い街で、別名「南米のスイス」と呼ばれている。 バリローチェには首都ブエノス・アイレスから平日でも1日10便以上飛行機の便があり、2時間余りで到着することができるが、時間に余裕があれば、往路か復路を1日かけて「湖越え」でチリ側の Puerto Montt(プエルト・モン)まで行ってみたい。 (詳細は以下の旅行記で参照できる。 ) バリローチェは Lago Nahuel Huapi(ナウエル・ウアピ湖)に面した美しい町で、ナウエル・ウアピ国立公園の山と氷河湖の自然を堪能することができる。 ゴンドラに乗れば、あっという間に標高 1,405mの Cerro Otto(オットー山)の頂上に立つことができる。 ここからはスイス風の山小屋の街並みやナウエル・ウアピ湖と Peninsula Llao Llao(ジャオジャオ半島)、それに大聖堂の尖塔のような形をした Cerro Catedral(カテドラル山:2,388m)等の絶景が広がる。 山頂には観光用だと思われるがセントバーナード犬までいる。 バリローチェは情熱的な南米の地にありながら、ヨーロッパの落ち着きを感じさせる街だ。 バリローチェを訪れたら、是非試してみたいことが4つある。 以下に写真で紹介したい。 1)多彩で洗練されたレストラン ナウエル・ウアピ湖で育った虹鱒(Trucha arco iris)・バリローチェ名物の鹿料理(Ciervo)・ スイス伝来のオイルフォンデュ等の料理が楽しめる。 2)Chocoraterias(チョコレートショップ) 3)スイス人気質を受け継いだ Artesanias(手工芸品) 4)氷河湖クルーズ ところで南米のあちこちになぜスイス人の切り開いた街があるのだろうかという疑問を持った。 現代のスイスからは想像し難いことであるが、実はスイスにも貧しい時代があり、第2次世界大戦の前には多くのスイス人が故郷を後にして国外に移住した時期があった。 統計によると1850年から1914年の間に約 40万人のスイス人が国外に移住し、アメリカや南米に渡ったという。 彼らは新しく切り開いた街に自分達の故郷の名前をそのまま残すことが多かった。 この San Carlos de Barilocheもそうである。 Barilocheは現在のチリとアルゼンチンに跨って住んでいる先住民マプチェ族の言葉で「(今のチリ側から)山の向こうに住んでいる人」を意味する。 また San Carlosは移民で商人であった Carlos Wiederhold Piwonka の名に因んだものであるとされている。

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第102回ジロ・デ・イタリアは5月28日、ローベレ〜ポンテディレーニョ間の194kmで第16ステージが行われ、山岳賞ジャージを着用するトレック・セガフレードのジュリオ・チッコーネ(イタリア)が優勝。 初出場の2016年に続く大会通算2勝目を飾った。 そして冷たい雨に見舞われ、レースは一層過酷なものになった。 山岳賞のマリアアッズーラを着用したチッコーネはスタート直後に形成された第1集団に加わり、山岳ポイントで得点を量産。 最後はアスタナのヤン・ヒルト(チェコ)と2人になったが、ヒルトはメイン集団にいるチームエースのミゲルアンヘル・ロペス(コロンビア)のアシスト役であり、チッコーネと協力せず。 チッコーネはいらだちを見せたが、それでもゴール勝負でヒルトをかわして区間勝利を挙げた。 「モルティローロ峠という伝説の舞台でいい走りができてとても満足している。 この大会での最大の目標はステージ優勝で、山岳ジャージの獲得はその次なんだ。 でも今は得点でアドバンテージを握っているから、山岳賞もねらっていきたい」とチッコーネ。 弟のチームメート、アントニオも決死のアシストを行い、総合2位の位置にいたプリモシュ・ログリッチェ(スロベニア、ユンボ・ビスマ)を突き放してゴールした。 首位リカルド・カラパス(エクアドル、モビスター)はニーバリとタイム差なしでゴールし、翌日に控えた26回目の誕生日にマリアローザを着用することができた。 その一方でログリッチェはメイン集団から1分22秒遅れた。 ニーバリはログリッチェを逆転して総合2位となり、2013、2016年に続く総合優勝に一歩前進した。

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