星野源 安倍晋三。 星野源は100点満点の距離感? 安倍晋三首相が批判された「エンタメの政治利用」|日刊サイゾー

安倍晋三首相が星野源との異色コラボに「イラっとする」。ソファーでくつろぐ様子を投稿(動画)

星野源 安倍晋三

こんにちは。 ミライです。 2020年4月12日、安倍総理が自身のTwitterに投稿した動画が炎上しています。 問題の動画がこちらです。 友達と会えない。 飲み会もできない。 ただ、皆さんのこうした行動によって、多くの命が確実に救われています。 そして、今この瞬間も、過酷を極める現場で奮闘して下さっている、医療従事者の皆さんの負担の軽減につながります。 お一人お一人のご協力に、心より感謝申し上げます。 動画のメッセージとしては 「自宅にいることの大切さ」を訴えたものでしたが、新型コロナウイルスを巡る安倍政権の対応が あまりにも杜撰なため、 「何様のつもりだ」と炎上。 一体、この企画を発案したのは誰なのでしょうか? 目次• 安倍晋三と星野源のアベノコラボが炎上 アベノコラボに対する批判について「スポニチアネックス」は次のように報じています。 ネット上では 「くっそシュール」 「地獄の安倍政権は使えるものはなんでも使うんだね」 など批判の声が相次いだ。 立憲民主党の蓮舫副代表はツイッターで 「ご本人のお考えだとすれば、 なぜ誰も止めなかったのか。 安直すぎる内閣官房と首相のコラボをあぶり出すような内容だ。 ネットでは他にも 「空気読めないコラボでお茶を濁す前に、 とっとと休業補償するべき」 などと個別補償に応じない政府への反発が広がった。 真っ先に安倍総理を批判したのは 細野豪志(ごうし)議員でした。 自民党二階派に入会し、 与党側にいるはずの 細野豪志元環境相まで 「それどころじゃない人もいる。 なぜ星野源さんと一緒なんだ。 総理と違って狭い家だとストレスがたまるなど 突っ込みどころ満載」 と筆を滑らせた。 世間の反応 今回の事でこの人はリーダーには不向きだと良くわかりました。 国が抱える問題を解決するリーダーシップは持ち合わせていないと。 各都道府県の知事が良い手本を示してくれました。 賛否、、、、という表現の報道が多かったけど、 やっと「批判殺到」と書いてくれたか。 そして、 周りの人間は誰も彼を止めることができないことが今更ながらによくわかった。 もちろん、 こんなくだらないことを企み、 喜ぶのは安倍昭恵しかいない。 最初から見た時、 アンチの煽りから動画かと思ったらまさかの本人アカウントからの投稿で驚愕した。 これ、おかしいと思わなかったのかな? これが真面目に捉えられると思ったのならまともな感覚じゃないよ。 広告代理店のテコ入れ入ってそうなきもするけど。 発案者:内閣官房の面々とは誰?名前は? 「無神経」「正気の沙汰ではない」などと酷評されているアベノコラボですが、この企画の 発案者は誰なのでしょうか? そこで、この企画を考えた人間について調べたところ、以下の情報が確認されたのです。 首相が言われるがまま行動していることに自民党内からは 「総理の判断力は本当に大丈夫なのか?」 と心配する声が上がっている。 さすがに全員の名前までは分かりませんが、アベノマスクの指揮を執った人間の1人は 今井尚哉(たかや)氏であることは既に報じられています。

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安倍晋三が星野源を政治利用?動画を投稿した星野源の本当の思いとは?

星野源 安倍晋三

星野源は「かわいそう」なのか? 降ってわいたような騒ぎが、日曜日のネット空間を駆け巡った。 4月12日、 「外出自粛」要請下の日本列島が、(イメージ上の) てんやわんやの状態になった観がする……のだが、どうにも僕には、腑に落ちないところがある。 まずは、事件を最初から振り返ろう。 その起点となったのは、12日の午前9時11分、 内閣総理大臣安倍晋三の公式ツイッター・アカウントから発せられたひとつの投稿だ(同様のものは関連のインスタグラムからも発信されていた)。 新型コロナ感染症対策として「外出を控え、自宅にいましょう」と呼びかけるものだ。 これが物議をかもした。 添付された動画が火種となった。 この動画は、 左半分に「うちで踊ろう」を演奏し歌う星野源がいて、右半分には、それを観ながら 自宅でくつろぐ安倍首相がいる、というもの。 こちらが該当ツイートだ。 この件にかんして、 ネット界は荒れに荒れた。 いろいろな意見が飛び交ったが、 大多数がツイート内容と動画に批判的であり、また同時に、 安倍総理の政策をも非難するものだったのは、 時節柄当然のことだろう。 とくに僕が目を奪われたのは、人気アーティスト星野源の人気動画コラボ企画が 「政治利用された」として憤っている人が、少なくはないように見えたこと。 そんなことが、あるわけがないじゃないか? いや 「あってはならない」ことでもある。 なぜならば、これは ごく普通に見て「アーティスト公認」の出来事だからだ。 星野源が自民党支持者なのか、内閣総理大臣安倍晋三の支持者なのか、それはわからない。 どう考えても。 この原稿を執筆中の12日午後5時現在、該当のツイートも動画も削除されていない。 もし今後削除されたなら、また話は別になるが、しかしいままでのところは「星野源が不本意に『政治利用』されてしまった」とみなせるような 痕跡は、一切なにもない。 にもかかわらず、「星野源を擁護する」意見のなかには、かなり特殊な「ものの見方」があった。 その典型例が、前述の 「利用されてかわいそう」論だ。 彼はいい大人で、しかも日本国内では「とても成功している」アーティストだ。 彼の自由意志を認めていないことになるわけだから。 星野源の政治信条が気に入らなければ、その点について非難する権利自体は、誰にでもある。 また、それが理由でファンをやめる自由だってある。 しかし 「これは彼の本心ではない(かもしれない。 そうであってほしい)」という態度や考えかたは、 明らかに歪んでいる。 混乱しすぎだ。 星野源が保守思想の持ち主でも、それは彼の自由だ。 あるいは「いまは政治的な立場を捨てて首相に協力すべき」という物言いによって、 結果的に「政権を擁護する」スタンスを取ったとしても、彼がそう考えるのなら、誰が止められるものでもない。 ただもしかすると、以下のように考えたい人もいるのかもしれない。 「本当は星野源は嫌で嫌でしょうがなかったんだけれども、一国の首相から頼まれたから『断り切れなかった』だけなのかも」 などと想像する人も、いるかもしれない(「だとしても」 結果は同じなのだが……)。 とはいえ、もしその想像どおりだと仮定するならば、そっちのほうがより一層「まずい」。 なぜならば彼はこの場合、表現者としてのプライドを捨てたに等しいからだ。 首相の要請が「嫌なもの」だったならば、文字どおり「身を賭して」拒絶しなければならない。 「嫌なのに、言い出せなかった」のならば、それはすなわち根本的に 「アーティスト失格」というものだ。 そんな不確かな、不誠実な者が芸術作品を作れるわけはないから(だがしかし、そんなことは「あるわけない」と、やはり僕は思っているが)。 スプリングスティーンがレーガン大統領にもの申す 音楽アーティストと「利用しようとする政治家の対立」には、アメリカになるが、こんな有名な例がある。 1984年、当時のアメリカ大統領だった ロナルド・レーガンが、二期目を狙う選挙戦の キャンペーン・ソングとして、ブルース・スプリングスティーンの「ボーン・イン・ザ・USA」を使った。 アーティスト側には、無許可で。 このことに、スプリングスティーン・ファンのコア層はみんな、烈火のごとく怒った。 それは 「誤解にもとづく使用」だったからだ。 リベラル派として知られるスプリングスティーンの政治信条と、レーガンのそれは、まったく相容れるものではなかったからだ。 しかしこの当時「ボーン・イン・ザ・USA」は、あまりにも売れてしまっていた。 だから本来の歌詞の意味、ヴェトナム戦争の帰還兵の苦しみを歌った内容が、まるで力強いタカ派愛国ソングのように誤解されたあげく、大流行していた。 保守アメリカの復活を目指していたレーガン陣営が「この解釈」にのっとって同曲を使用したのは明らかで、だから スプリングスティーン自身も楽曲使用に不快感を表明。 自らのコンサートのステージ上で 「大統領は俺の『ネブラスカ』を聴いたとは思えない」と言って、アメリカの闇のなかで煩悶する庶民を描いた旧作アルバムの名を挙げ、そこに収録されたナンバー 「ジョニー99」を歌った。 それはこんな歌だ。 工場が閉鎖され、ラルフは職を失う。 仕事は見つからない。 住宅ローンが払えない……(まるで、いまのコロナ禍の世相みたいだ)酔っぱらった彼は銃を片手に街に出て、夜勤の店員を撃って逮捕される。 判決は懲役99年。 つまり日本で言うところの「懲役太郎」調の異名として、 このときからラルフは「ジョニー99」と呼ばれることになる……。 ニール・ヤングはトランプ大統領に抗い続ける 現在のアメリカ大統領である ドナルド・トランプとニール・ヤングの確執も記憶に新しい。 トランプは2016年の選挙戦時、最初の 出馬表明のタイミングでヤングの人気曲 「ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド」を無許可で使用した。 ヤング側は即座に抗議し、使用中止を求めた。 だがしかし、 トランプは「言い返した」。 なぜならば、ヤングとトランプは旧知の仲であり、彼はトランプの持つ施設でライヴをした経験もあったからだ。 つまり逆に言うと「旧知の仲」だったとしても、 ヤングは「やるべきことをやった」わけだ。 そしてさらに、ヤングは今年の選挙戦を巡っては 「トランプの再選を阻むため」に、カナダ人だった彼が(投票できるように) アメリカ国籍まで取得。 これまで果敢な活動を繰り広げていた。 2016年の選挙戦と「キャンペーン・ソング」の関係性、あるいは、アメリカ政治と「歌」の長く深いかかわりついてご興味あるかたは、をご覧いただきたい。 ともあれ、このようにしてアーティストが自らの矜持を示すことは、もちろん 「日本でも可能」だ。 自らの政治信条や思想とはかけ離れた形で、あるいは、作品そのものの本質を「曲解」された方向性で、 政治家に「無断使用」されたときには、厳重に抗議した上で、それを取り下げさせるべきだ。 もちろん、法的に可能な範囲で、というただし書きはつくのだが(だからヤングも苦労した)。 ゆえに、今後件の動画が星野源側のアクションによって取り下げられたり、あるいは、本人のステイトメントとしてなにか発せられないかぎりは、 星野源が「不本意に利用された」という事実は一切あり得ないわけだから、考える必要はない。 なぜ日本には「音楽に政治を持ち込むな」という人が、一定数いるのか? これに関連して、かねてより僕が不思議に思うことがある。 日本の人はよく「音楽に政治を持ち込むな」と言うらしい。 今回の星野源も、そうした観点から嫌がられているフシもある(アーティストが「政治家とかかわった」からという理由で)。 だがしかし、そうした観点を持つこと自体が、やはり本質的に間違っている。 なぜならば、 音楽どころか、あらゆる芸術、表現活動とはそもそも「すべてが政治的」なものだからだ。 童謡も、古典絵画もちょっとしたイラストも、全部だ。 アイドル・ソングも、昭和歌謡曲も同様だ。 歌詞が直接的に「政治的」でなかったとしても、その存在の総体が、なんらかの形で社会的な影響を与えざるを得ない表現は、すべてが「政治的」なのだ。 その理由は、 現代社会に生きる人間とは、そのひとりひとりが「きわめて政治的」な存在だから。 そしてそれが、当たり前だが、 民主主義というものの根本だ。 また言うまでもなく、50年代アメリカに端を発する、 ロックンロールの誕生以降に発展していった「ポップ音楽」とは、その起点から現在に至るまで、どこをどうとっても「きわめて『高度に』政治的」なものしかない。 日本のJポップも、もちろんその最広義の定義のなかにある。 だから「政治的なもの」しかない。 どうやら、この当たり前のテーゼから無縁のオモチャのようなものとして、音楽やら「カルチャー」やらを愛でたいと考える欲求や習慣が、 日本の一部には根強くあるようだ。 だがしかし、それは国際的にごく普通の「現代社会」とはそぐわない。 さらに言うと、いま現在の、尋常ならざる状況下においては、平時よりも一層、芸術から政治性が浮き上がってきても、とくに不都合はないのではないか。 つまりいろんな意味で、今日は星野源がかわいそうになった。 ただ僕自身は、日本政府のコロナ対策のすべてが根本的に間違っていると考える者だ。 だからもし僕が「歌う人」で、同様の依頼を安倍首相サイドから打診されたなら、 その場で丁重にお断りする。 もちろん 勝手に使われたのなら、即座に削除させる。

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星野源は100点満点の距離感? 安倍晋三首相が批判された「エンタメの政治利用」|日刊サイゾー

星野源 安倍晋三

星野源 シンガーソングライターの星野源が3日に、自身のインスタグラムなどで楽曲「うちで踊ろう」の動画を公開したが、安倍晋三首相がこの動画と共に自宅で寛ぐ様子を公式SNSに投稿したことが波紋を広げている。 星野は動画公開に際し、「この動画に楽器の伴奏やコーラスやダンスを重ねてくれないかな?」と呼びかけたところ、多くのミュージシャンとのコラボレーションが実現して話題になっていた。 そして、安倍首相はこれにちゃっかり便乗した。 安倍首相は12日に公式Twitterやインスタで、星野の動画に自宅のソファーで犬を抱いたり、お茶を楽しんだりして寛ぐ自身の様子を組み合わせた動画を公開した。 しかし、政府の緊急事態宣言によって生活補償も定まらず、国民がギリギリの精神状態で不安になっている中、安倍首相の呑気な動画は酷評の嵐に。 「国のトップがこれかよ」「何様だよ!」「ふざけんな!」と、猛批判が吹き荒れている。 「星野は楽曲と動画の制作意図について、外出自粛を促すのではなく、家にいながら楽しんだり面白がったりできる仕組みを作りたかったとしています。 そんな星野に共鳴して、多くのミュージシャンらが楽器演奏やコーラス、ダンスなど、何らかのパフォーマンスで呼びかけに応えたわけです。 ミュージシャンではありませんが、星野と親交が深いバナナマンにしても、『歌もダンスもできないから真顔でコラボしてみた』という動画をアップしています。 社会派ラッパーのKダブシャインは、「ちゃんと歌で政権批判しないから、こういう利用のされ方するんだよ。 ポップシンガーの宿命」と、ツイッターで星野に苦言を呈した。 「星野は12日深夜、インスタのストーリーズ機能で、安倍首相側からは動画投稿に際して、自身にも所属事務所にも事前連絡や確認は事後も含めて一切なかったと報告。 100点満点の距離感です。 典型的なのが、大統領選とポップミュージックとの関わりだろう。 ドナルド・トランプ大統領は2015年、大統領選の出馬表明会見をニューヨークの自身が所有するトランプタワーで行ったのだが、そのとき流されたのがニール・ヤングの代表曲「ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド」だった。 「日本とは違い、アメリカではミュージシャンや俳優など芸能人は自らの政治信条を公言します。 そして、その多くは民主党支持者で、カナダ人ながらヤングもご多分に漏れず、民主党のシンパ。 一方、トランプ大統領は共和党です。 当然ながら、ヤングはトランプ大統領に抗議し、楽曲の不使用を求めました。 ただ、星野の人気に便乗しただけの安倍首相と異なるのは、トランプ大統領はヤングの大ファンであり、2人は旧知の仲だった点。 トランプ大統領としては政治利用というより、出馬表明で大好きなヤングの曲を流したかっただけかもしれません(笑)。 それでもリベラル派で知られるヤングとしては、政治信条が真逆のトランプ大統領に曲を使われるのはイメージダウンですからね」(同) 政治利用によって、自身のアーティストイメージが棄損されたという意味では、ブルース・スプリングスティーンのケースが代表的かもしれない。 1984年に発表されたアルバム『ボーン・イン・ザ・U. 』は全米で1,200万枚、世界中で2,000万枚を売り上げ、スプリングスティーンをアメリカのスーパースターから世界的なロックスターの座へと押し上げた。 だが、アルバムタイトル曲は勇ましい曲調である上、サビの部分でスプリングスティーンが「ボ~ン・イン・ザ・U. そして、この曲を自身の大統領選のキャンペーンソングに採用したのが、2期目の当選を目指していた当時のロナルド・レーガン大統領だった。 「日本では今でも誤解されているところがありますが、この曲は愛国ソングなどではなく、ベトナム帰還兵の悲惨な人生と苦悩を描いたいわば反戦歌です。 英語がわからない日本人ならいざ知らず、アメリカ人のレーガン氏なら普通に歌詞を聴けば、自らのタカ派思想とは相容れない内容だと理解できたはずなんですけどね。 スプリングスティーンも『ヤツ(レーガン氏)は英語もわからないバカなのか』と呆れたそうです。 いずれにせよ、この出来事によってスプリングスティーンはそのイメージの払拭に、長年にわたって苦労させられることになります」(同) 「意図しないところで政治利用されるぐらいなら」と考えたのかはわからないが、その後のスプリングスティーンはアメリカの右傾化に対抗するかのごとく、積極的に政治にコミットするようになる。 バラク・オバマ前大統領が初当選した08年の大統領選では、いち早くオバマ氏への支持を表明。 オバマ氏の選挙集会に何度も登壇しては、ライブパフォーマンスを行ったものだ。 こうしたアメリカのミュージシャンと比べて、自らのスタンスを旗幟鮮明にしない星野に対し、リベラル派などからは批判の声が聞こえてきそうだが、大統領選とコロナとでは状況が違う。 同一線上で論じるべきではないだろう。 「大統領選は国民1人ひとりの政治信条を戦わせる場なので、いくらでも政治家を批判してもいいでしょう。 しかし、コロナは国民が一致団結して事に当たらなければなりません。 星野としては、いたずらに安倍首相を批判して、親安倍派と反安倍派との間に新たな分断を生じさせたくなかったのでしょう」(同) 安倍首相にすり寄るでもなく、かといって拒絶するでもない星野の対応は賢明だったと言える。

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