イスラム 教。 イスラム教

イスラム教ってどんな宗教? 〜いつ、どこで、誰が作ったどんな宗教?イスラム教の基本と特徴をわかりやすく解説!〜

イスラム 教

この本は、2001年のイスラム教徒によるアメリカ同時多発テロに触発されて書かれたようです。 それにしてもエライ時にエライ本を書かれたものだと、小室先生の勇気に舌を巻きます。 それ以前にもイランではアメリカ大使館人質事件で国際ルールを破って大使館に乱入しています。 1991年には筑波大学の五十嵐一助教授がキャンパス内で首を切落されて殺害された事件がありました。 イランの宗教指導者ホメイニが小説「悪魔の詩」の著者と出版関係者に対し死刑宣告したことを受けてイスラム教徒の暗殺者の犯行でした。 五十嵐助教授は、日本語翻訳者でした。 イスラム教国では、素晴らしいニュースとして拍手喝采で報道され犯人は英雄扱いでした。 この犯人は、未だに捕まっていません。 いわゆるイスラム原理主義社たちの国際テロ事件、自爆事件は絶えることがなく毎年、発生しています。 私は、ウサーマ・ビン・ラーディンが殺害されたニュースにはホッとしたものです。 イスラム教については、一日5回の礼拝、豚肉・アルコールは口にしない理解できない食物規則、信者が一斉に断食する、など奇異な宗教との印象でしたが、恐ろしい宗教との印象が加わりました。 ここ数年はアジアのイスラム教国から日本観光に来る人が増えて、観光関連のビジネス業界は、その応対に追われて四苦八苦ですが、嬉しそうです。 この本はイスラム教の教えのエッセンス、歴史、文化、文明、キリスト教などとの違いについて分りやすく書かれています。 一読して感じたのは、私のような団塊世代が学んだ「世界史」はキリスト教中心の欧米のもので偏頗なものだということです。 そしてイスラム教については、まったく知識がなかったことがわかりました。 日本人には馴染みのないイスラム教ですが、世界で16億人の勢力です。 預言者マホメッドを開祖とし、唯一絶対神をアラーとします。 宗教としての完成度は高くて、宗教的戒律、社会的規範、国家の法律がが全く同一のコーランを教義とする一神教です。 キリスト教のように三位一体、マリア信仰などと言ったアクロバット的な解釈はありません。 中世の識字率はヨーロッパは10%以下に対してイスラム教圏では100%です。 それはギリシャ文明を受け継いだのがローマ帝国であり、その後を受け継いだのがイスラム教圏だったからです。 宗教、政治、哲学、天文学、数学、航海術、軍事、美術、文学などの中心は、イスラム教圏で栄えました。 イスラム教ではコーランを詠唱するのが毎日の勤めで、そのために文字を読むことは必須条件で、識字率が高いのです。 ヨーロッパでは、聖書はギリシャ語、ラテン語がせいぜいで各国語には翻訳されていませんでした。 そのため、ヨーロッパの神学者たちはイスラム教圏に留学して聖書研究を学んだのです。 ヨーロッパで聖書が一般化するのは、いわゆる宗教革命以降のことです。 イスラム文明の優位は、1000年続きました。 マックス・ウェーバーが解明したように予定説に基づくプロテスタンティズムの倫理が資本主義を生みました。 ルター、カルヴァンの宗教原点復帰運動で、それまで修道院のみで行われていた「労働が救済に通じる」という倫宗教的理観が生まれ、エトス(行動様式)となります。 これが、科学技術の進展に通じ、航海術で大航海時代を迎え、植民地を獲得し、やがて産業革命へと通じキリスト教文明は飛躍的に発展します。 イスラム教が置いてきぼりになったのは、イスラム教が厳格な宗教的行動規範で外形的な宗教規範を重んじエトスに自由度の余地が少なかったからです。 キリスト教は、内面のみの信仰を重視したので、表に出る行動規規範、エトスは少なかったのです。 信じなさい、信じるものは救われる、というヤツで、内面に信仰をもてば何でもアリでした。 キリスト教圏の勢力拡張は、異民族、異教徒にとっては災殃でした。 南米のインカ帝国はキリスト教徒によって600万人が殺戮され滅びました。 北アメリカの原住民は、100万人が数年で10万に激減するという殺戮ぶりです。 アフリカの黒人奴隷は、奴隷としてカリブ海、北米に連れてこられました。 家畜の扱いで、白人が黒人女性に産ませた子供は、商品として売り飛ばされました。 異教徒は人間ではなく、動物と見做されていました。 日本に対する原爆投下、東京を始めとする空襲にはそのような感情があったと、私は、考えます。 イスラム教とキリスト教の教義、歴史の溝は、とてつもなく深く大きいと思い知らされます。 現状では、相互理解、妥協は不可能でしょう。 日本も、イスラム教の情報は、テロ、原理主義、厳格な宗教的戒律などネガな情報が大半です。 この本は、イスラム世界を深いところから理解するのには重宝すると思います。 イスラム教はなぜあんなにも短期間に多くの信徒を獲得できたのか、ずっと疑問に思っていた。 キリスト教は、神の絶対性の究極の論理的結果としての「予定説」(最後の審判によって救われるかどうかは、人が生まれる前から、絶対神によってあらかじめ定められており、誰が救われるのかは人知では分からない)という、信徒にとてつもない緊張感を与える教理を持つのに対し、 イスラム教は、「宿命論的予定説」という、因果律と予定説のいいとこどりをしたような論理構成をとっているため、キリスト教に比べ、人々に格段に受け入れやすいように作られている。 イエスによってアダムとイブに始まる人間の原罪が贖われた、とされるキリスト教においては、畢竟、イエスの神性を主張せざるを得ず、そのため、ニケア公会議で「三位一体説」という論理的に理解しがたい説をとったが、 イスラム教は、イエスも、マホメットでさえも、預言者(=人間)に過ぎない、という、「唯一絶対神」という存在に論拠する立場からは、非常にすっきりとしたものとなっている。 ギリシアの学問は古代ローマに受け継がれたが、西ローマが滅んだ後は、ギリシアに興味のなかったゲルマンには引き継がれず、イスラムに引き継がれた。 聖書研究すらも(もはやヨーロッパはギリシア語を読むことができない)、ヨーロッパでは、イスラム経由で行われた。 イスラムは1000年に渡ってヨーロッパをリードした。 しかし、サラセンを滅ぼしたモンゴルもイスラムに改宗したというのに、十字軍遠征に失敗したヨーロッパはついにイスラムに改宗することはなかった。 これが、イスラムに残る、「十字軍コンプレックス」の根底にある、という。 トゥール・ポワティエ間の戦いの後に、イスラムがさらにヨーロッパに攻めていれば。 トルコのイェニチェリがウィーンを攻め落としていたら。 ヨーロッパは今頃ターバンを巻いていたかもしれない、と著者は述べる。 なぜヨーロッパとイスラムの1000年に渡る関係が逆転したのか。 これが、難解なるキリスト教の「予定説」の故である、という。 「予定説」の故に、ヨーロッパでは「エトスの変換」が引き起こされ、その結果、世界で唯一、近代資本主義が確立され、近代デモクラシーが確立され、近代科学が確立された。 イスラムでは「マホメットが最後の預言者」とされているため、マホメット以後の変革はあり得ず、よって伝統主義の呪縛から逃れられず、革命思想は否定される。 また、ヨーロッパよりも1000年も早く「平等」思想が確立されていたために、絶対王政、さらにその結果として起こる近代デモクラシーへの道もなかった。 ここにはまとめられなかったことも数多くあるが、全体的に、著書を読んで感じたことは、 イスラムは初めから「出来すぎた宗教」であったが故に1000年の後にヨーロッパに凌駕されることになってしまったということになるが、 だがしかし、それは両宗教の最終的な優勝劣敗を意味するものではない、 ということであり、 イスラムは、トルコ革命などヨーロッパ化を目指して苦渋してきたが、結局は、イスラム元来の独自の世界を進むのが最善の道だったのではないか、 という思いを持つのである。 社会科学者である著者がキリスト教、仏教、儒教などを比較対象としながら、イスラム教とイスラム文化の特徴を浮かび上がらせることで、読者の理解を助けている名著です。 「原論」が意味するのは、宗教社会学・比較宗教学の視点からまとめられているからだと思います。 よって、イスラム教にまつわる細かな歴史や、イスラム教徒の生活様式についての詳細説明などは書かれていません。 「イスラム教学」のようなものを求めて本書を手にしたならば、場合によっては期待を裏切られることになるかもしれません。 (ちなみに、その点についてはおおざっぱに分かればよかったので、『イスラム教の本』(学研)を参考にしました。 ) 本書はイスラム教を中心にして宗教社会学を考察してみる、といった構成になっていますが、『宗教原論』と重複する点が多数あり、一方で、それで展開された理論を応用した記述もあります。 筆者は、イスラム教というのはキリスト教などに比べて、論理的一貫性を持っており、かつ強制信仰をさせないなどの寛容性を持った宗教だと筆者は説明します。 (ちなみに、筆者はイスラム教は他の宗教に比べて、かなり後になって出現したので、理論的弱点を補っているのは当然だということを認めています。 また、どの宗教の教理にも突っ込みどころがあるとも述べています。 ) イスラム教になじみのない我々にとって「ジハードの名の下に行われる自爆テロ」などは不可解極まりないわけですが、本書で展開される理論によれば、イスラム教の教理における一貫した論理性とは矛盾しないと主張し、説明がなされています。 他にも、「キリスト教徒・ユダヤ教とにとっても神という存在のとらえ方と、イスラム教徒の神のとらえ方の違い」「日本ではなぜイスラム教が広まらなかったのか」「なぜイスラム教の影響の強い国では、資本主義が発達しにくかったのか」などについて、筆者の説明があり、とても興味深い内容となっています。 「分かりやすくするために」という主旨なのか、あるいは「細かな点ばかりを羅列して、最も伝えたいことがぼやけてしまってはいけないから」という配慮からなのか、おおざっぱな論理展開になっている部分もあろうかと思います。 そういう意味で、説明が荒いという批判もあるでしょう。 しかし、本書の主旨が「日本人にとって奇妙に見えるイスラム教の教義の根本を、手軽に知ってもらおう」ということでしょうから、いろいろと欲張ることなく書かれているのも一つの魅力ととらえてもよいと思いました。 イスラム教はたった400ページ程度ですべてを語りつくせるほどのものではありませんし、詳細に入ってしまえば、結局何が言いたかったのかを伝えることもできず、中途半端な作りの本になっていたでしょう。 なお、他のレビューにあるように、特にキリスト教についていろいろと矛盾を突っ込んでいるところが見られます。 しかし、小室氏は人文科学者としてキリスト教を含めたそれぞれの宗教の素晴らしいところを伝えるというのではなく、社会科学者として、宗教が我々の日常社会や国際情勢に与える影響を重視して伝えることを旨としているように思われます。 したがって、キリスト教に矛盾があろうと(また、日本の仏教が原始仏教とは大きくかい離していようと)、それ自体は(興味のそそられる部分ではあるけれども)何ら問題はないと考えているのではないかと推察されます。 筆者はそのような矛盾があったり、カトリックが本来のキリスト教のあるべき姿と離れた形で布教に努めたり、体制を維持しようとしても、だからと言ってキリスト教が素晴らしいとかいかがわしいといった判断をしていません。 それぞれの宗教の魅力や教義の特徴ではなく、それぞれの宗教には突っ込みどころがいろいろとあったり、時代の流れに乗れていないところがあっても、多くの人々を魅了してやまないということ。 また、合理主義的発想によって多くの人々や組織が意思決定している筈であるにもかかわらず、社会の変化に宗教が大きな影響を与えていること、そして政治的・社会的衝突を生んでいること。 小室氏が本書において立脚しているスタンスとは、このような宗教の特徴について主に社会学的な観点から考察するということなのだと思います。 たった400ページで、イスラム教のみならず、他の宗教や文化、思想のキーポイントにしっかり触れつつ、それでいて瑣末な内容を削り取り、分かりやすい記述で「社会科学的観点からみたイスラム教」についてまとめているというアクロバティックな試みを成功させているという点で、星5つとさせていただきます。

次の

イスラム教とキリスト教は同じ神?日本人だけが知らない真実

イスラム 教

09 2020. 16 akkewan イスラム教の教えと特徴は?食事のルールや食べてはいけないものも 私の友人にパキスタン人がいるのですが、 彼の国の国教はイスラム教で、 当然のこと、彼もまたイスラム教徒でした。 彼はあまり熱心なイスラム教徒では ないのですが、 それでも、宗教による習慣の違いは、 お互いに気をつけながら付き合っています。 世界の人口の23%はイスラム教で、 最近の海外からの観光客はインドネシアやマレーシアの ムスリムの人たちが増えている傾向があります。 でも、日本人の大半はイスラム教の教えや、 そのルールを知りません。 彼らのルールを侵しても、 何が悪かったのか理解できないことも多いのです。 イスラム教のルールとは何かを知ることで、 無知によるトラブルを未然に防げるのではないでしょうか。 この記事に書かれていること• イスラム教の教えとは簡単に言うと! 簡単に言うと、 旧約聖書を教典にしているのがユダヤ教。 それに新約聖書を足したのがキリスト教。 旧約聖書と新約聖書にコーランの教えを 上位として足したのがイスラム教です。 そして3宗教共に、同じ神の一神教で、 他宗の神は神として認めません。 イスラム教とは! イスラムという言葉は「神への帰依」 という意味です。 だから「イスラム教」という言い方は 「神に帰依する宗教」という意味になるはずです。 日本語に直すと、解ったような、判らないような。 そして、イスラム教徒のことを「ムスリム」とか、 「モスリム」といいます。 意味は 「神に帰依した人々」 です。 旧約聖書も新約聖書も聖人達の言葉を解釈 してまとめたものですが、 イスラム教の聖典「コーラン」は、 開祖「ムハンマド」が神の言葉を解釈抜きで 全てを書き留めたものとしているのが特徴です。 神はこれまでも、 お気に入りのムハンマド以外の預言者にも言葉を与えてきたが、 預言者たちにすべてのことを伝えたわけではなく、 言い残した言葉がたくさんあったといいます。 そして、 人間たちに言い残した最後の言葉を伝える ために選ばれたのが 「ムハンマド」だったのです。 イスラム教徒のおつとめ 「ムスリム」には、 「六信五行(ろくしんごぎょう)」 というおつとめがあります。 六つの教えを信じなさいという「六信」• 「神」• 「天使」• 「啓典」• 「預言者」• 「来世」• 「天命」 の六つです。 五つの行いをしなさいという「五行」• 「信仰告白」 「アラーの他に神なし。 ムハンマドはその使徒なり」 と必ず声に出して唱えることです。 「礼拝」 正式には一日五回、 メッカの方向を向いておこないます。 世界中のムスリムが礼拝の時間にはメッカの カーバ神殿に向かって拝みます。 「断食」 一年に一ヶ月間ラマダーンと呼ばれる 断食月があります。 これは、 一ヶ月間まったく何も食べないのではなく、 1日の日の出から日没まで、 太陽の出ている時間帯に食べ物も水も 口にしないというものです。 日が沈んだ瞬間からら食べてもよいのです。 これが一ヶ月間続くのですが、 ラマダン明けの祭りは 「イード・アルフィトル」といって、 一晩中食べているそうです。 今年のラマダンは 2019年5月5日(日曜日) 夕方に開始 2019年6月4日(火曜日) 夕方に終了 地域によって日付は異なる場合があります. 「喜捨」 富めるものが貧しいものに財産をわけあたえることです。 吝嗇で財産をため込むことを卑しいこととし、 儲けたなら、 それを貧しいものに喜捨するように教えています。 「巡礼」 聖地メッカに巡礼することです。 一年に一回巡礼月があって世界中から 200万人のイスラム教徒がサウジアラビアのメッカに 集まってくるそうです。 イスラム教の特徴は! 女性は外でヴェールをつける イスラムでは前提として人間は意思が弱い ものだという発想があります。 男女の愛も永遠に続かないかもしれないと、 冷静な判断をはじめにしているので、 決して永遠の愛は誓わないのです。 それから、 男の理性は性欲に勝てないだろう、 という発想です。 だから、 男が女性を見ると理性をなくしてしまうので、 女はヴェールで肌を隠す、ということらしいです。 しかし、 肌を出す自由が制限されることは 女性に対する差別だという意見が、 イスラムの女性から出ているようです。 モスリムの人たちでは宗教上の身だしなみで、 男女共に体毛があることは不潔とされています。 そんな国で開発されたムダ毛処理の除毛クリーム紹介します。 ムハンマドが布教活動をはじめた頃は、 イスラム教と他宗との争いで多くの 男性ムスリムが戦死しました。 そして、多くの妻が未亡人になったのです。 彼女たちの生活の面倒を、 残った男たちに見させるために 一夫多妻を認めたということです。 公共の場では男女を一緒にしない 男性が多くいて、混み合った状況は 女性にとって不適切だからだろうか、 スポーツ会場などでは、女性の姿は見ることがないですね。 レストランでも家族連れ意外に女性を見かけません。 イスラム教の食事のルールは「ハラール」で! 食事をイスラーム教のルールに照らし合わせて、 食して良いものはハラール食品といい、 ルールに合っていないものは ハラーム 禁忌 といいます。 お酒は飲めない! ハラールルールで基本的にはアルコール禁止です。 飲酒を禁じる記述がコーランにもあるので、 厳しく律する人もいますが、 アルコールを許容するかどうかについては 個人差がかなりあるようです。 ハラールでは豚肉は食べてはいけない! イスラム教徒が 豚肉を食べない理由は。 イスラム教徒は豚を不潔・不浄な生き物とみています。 「豚は繫殖力が強く盛んに交尾する」 「その肉を食べる人間は不浄になり、 色魔になってしまう」 豚肉を揚げた油で揚げられた野菜や魚も 食べることはできません。 これは豚がイスラム教では不浄な生き物 とされているためです。 ハラールルールで食事ができるレストランが急増中! 他の食肉でもハラールのルールがあります。 イスラム教のルールに従って屠殺した肉ならOK• その家畜に与えたの餌にハラールルールに 違反したものが入っていないこと• 屠殺の行為は必ずムスリムが アッラーの御名を唱えて行うこと 厳密なルールを守った鶏・牛肉ならば 食べてもよいということです。 最近は、イスラム教のルールに合格した 「ハラール認証」 を取得している レストランが急増中です。 また、「ハラール認証」シールを張られた 食品も安全だということで、 人気があるようです。 まとめ イスラム教の国は中近東諸国だけではなく、 東南アジアの国の人たちにもイスラム教徒 は大勢います。 実際に、日本に観光に来ている、 東南アジアのイスラム教徒は増加傾向に あるのです。 また、オリンピックの年になれば世界中の イスラム教徒達が日本・東京を訪れてくれます。 空港などの大きい施設には無料の礼拝室がありますが、 街中の礼拝施設はまだまだ少ない気がします。

次の

イスラム教ってどんな宗教? 〜いつ、どこで、誰が作ったどんな宗教?イスラム教の基本と特徴をわかりやすく解説!〜

イスラム 教

Contents• イスラム教に改宗する方法 イスラム教徒になれる人 イスラムに入りたい人は誰でも入信することはできます。 人種・国籍・前宗教は問われません。 過去に罪を犯していても入信できます。 イスラム教への改宗方法 イスラム教には聖職者がいません。 そのため、洗礼のための行事や特別な儀式は必要ありません。 イスラム教へ改宗する方法はたった一つのことを行うだけです。 「アシュハドアンラーイラーハイッラッラー アシュハドアンナムハンマダンラスールッラー」 【アッラーの他に神はなく、ムハンマド 彼の上に福福と平安あれ はアッラーの使途である。 】 この2句を口にだす、信仰告白 シャハーダ をすることです。 シャハーダはイスラム教徒2人以上の人の前で行わなければなりません。 この信仰告白で3つの役割が果たしたことになります。 この表明が正しいと認めること• この言葉の内容を守るということを確約するという決意を表すこと• 義務と権利を認めたこと イスラム入信の際に行うべきこと イスラムに入信する際に行うべきことがいくつか決められていますが、すぐにシャハーダすることが優先され、シャハーダを延期しなくてよいとされています。 以下のことは義務ではありませんが、好ましいとされることです。 体を清めること グスル• 割礼すること• 体毛を剃ること 名前を変えるか変えないか イスラム教に入信したからといって名前を変えることは義務ではありません。 しかし、名が他の神に由来する名前であったときは変える必要がでてきます。 イスラムにおいて父親の名前を変えることはそれが他の宗教に関連する者であっても許されません。 日本に置き換えますと名は変えてもよく、氏を変えてはいけないことになります。 ユダヤ教に入信する方法 ユダヤ教徒になれる人 基本的にユダヤ人しかユダヤ教徒になれません。 ユダヤ人というのは両親がユダヤ人である人のこと指します。 そのため限られた人しかユダヤ教徒になれません。 例外として、ユダヤ学校で数年間ユダヤ教の教義や掟を学び、ラビのもとでヘブライ語で聖書を読み、割礼の儀式を行い、沐浴場で首まで水で清めたのちに認められるという非常にハードルの高い順序を踏んだものが認められます。 非常に門戸が閉ざされた宗教といえます。 割礼が重要な儀式 ユダヤ人は割礼を義務付けています。 旧約聖書に「男は生まれてから8日目に割礼を受けなければならない」と書かれています。 安息日には一切の労働が禁止されるユダヤ教ですが、割礼の儀式は許されています。 それほど割礼がユダヤ教徒にとって大事なことだとわかります。 キリスト教に入信する方法 キリスト教徒になれる人 基本的にだれでもなれます。 教会に通うだけで「信徒」と呼ばれるようになります。 キリスト教への改宗方法 宗派や教会によって改宗の方法が異なっているようです。 そのため自分が良いなと思う宗派を探してください。 教会に通うだけで「信徒」と呼ばれますが、洗礼を受けていない人は「求道者」と呼ばれます。 洗礼を受けると神への道お受け入れたという信仰を告白したことになります。 名前が変わるか変わらないか 洗礼が終わった後、カトリックでは名前をもらうことができます。 一方プロテスタントでは名前はもらわないようです。 改宗方法まとめ いかがだったでしょうか。 この順で改宗の門戸が広がっているようにみえます。 日本人に馴染みのうすい一神教ですが、調べてみると新しい発見が多く面白いですよ。

次の